白山神社の白蛇

原文

今こそ跡も形も無い処だが、昔ながらの言い伝えを残して居るものは随分多い。

人は今、現在形に残っている物は、それを失うまいとして力め、不幸既に失われた物に対しては、当時の人々の無智を罵ったり、残念がったりして一入懐しむものである。

これに似たものが南町の略々中心にある。

それは今の屋台蔵の所である。其の昔、倉賀野神社の認可申請に当っては、五社合併ということが是非とも必要なことであった。

白山(しらやま)神社と弥栄(いやさか)神社とは随分前からここ南町の人達の守神として信仰を集めていたが、愈々飯玉様に移されることとなり到々実現されたのであった。神社の建物は取毀わされ、大木は伐り倒された。

この伐倒されていった大木の中に、一際大きな木があった。此の木の中に住んで居たという白蛇に就いての伝説である。

木の太さは目通りでさえ大人が五、六人も手を組合わせなければ一周り出来なかったと古老が云って居る。然も此の大木の中程は雷の為に物凄く打抜かれたかと思われる様に、黒く空洞になって居て、それが根本の処で大きく割れ外へ現に出て居るのであった。

ところが此の大きな虚の中へ、何時から入ったものか、それとも前から居たものか、一匹の小さな白蛇が住んで居たと云う事である。この白蛇は殆ど外へ出た事もなく、従って姿などを見せた事はなかったと云うが、何時誰れが見たものか、次第次第に評判になって行った。そして、噂は噂を生んで行った。

「あの白蛇の姿を見たものは一生眼の病にかからない」とか

「あの白蛇に歯を見せると口の中の病にかからぬ」とか

こんな事が云われる様になった。それが何時とはなしに信仰に迄なって来た。

「歯の病を治す神様。口の中をよくしてくれる神様だ。」と、云う様になった。それからと云うものは、時々子供の歯が抜けたからといっては此の穴へ入れ。虫歯になって痛むからと云っては願かけをする様になったとか。又朝など顔を洗う前に、よく此の白山神社の大木の根方へ来ては歯を磨いて居たと云われている。それが毎日毎朝、誰かしら来て居ないものはなかったそうだ。

始めは男も女も同様に信仰して居たが、終には、どうした事か女の人達ばかりになって、稀にしか男の人の姿は見られなかったということである。

生い繁る大木の境内、其処に鎮る社、それだけでさえ神秘そのものなのに、白蛇が棲むとか、而も其の白蛇は遂に神の存在となって、多くの人々の信仰の目標となったなど、如何に伝説とは言え不思議な物語を残したものだ。此の辺の古老は今でさえ単なる伝説としてこの物語りを聞流していない。そして何処迄も信じている。

徳井敏治『皇紀二千六百年 伝説の倉賀野』
(昭15)より