赤堀道元の娘が十六で赤城へ来て、小沼の畔で休み、見染められてしまったのだそうだ。お駕籠で来て家に帰ったが、赤城が恋しくてどうしようもなく、大騒ぎをするので、土蔵へ入れられた。しかし、一週間してみると、背中へこけが生えていたので、あきらめてまた赤城に送られた。
また駕籠に乗せ、赤飯をほけえ(行器)に入れ、小沼へ連れて行って、放したら、すっかり自由になって、小沼に沈んでしまった。その日が五月八日だったので、その日には赤飯を小沼へ持っていく。だから、十六の娘は小沼へ行くなという。(勢多郡富士見村新地)