赤堀道元の娘は生まれながら蛇体で、土蔵ずまいをしていたんだが、赤城山へ行ってみてえと言っていた。それで、近所の人と一緒に赤城へ行った。小沼のことろへきたら、「おらあ、あんまりのどがかわいてかなわねえ」と言って、小沼の水を口にしたら、「うまくていい気持ちだ。おらあ、みんなにせわになったが、こんないいところへきたから、みんなと別れるから」と言って、蛇体になって、小沼へ消えたという。そのとき十六歳であったので、十六歳の娘は、赤城へのぼらせるなとむかしの人はいった。(伝承者 斎藤元雄 勢多郡宮城村三夜沢)
赤堀道元の娘は概ね十六歳になって蛇体となるのだが(「十六の娘」)、中にはこのように、そもそも蛇体だったと語るものもある。娘の特徴として、腋の下にこけら(鱗)があった、と語るものは多いが、それ以外の蛇としての特徴を語る話も少なくない。
鱗の次によくいわれるのが、妙な髪をしていたというもので、「どんなによく髪を結ってやっても、翌朝になると、髪がぷっつり切れてしまっていたという(前橋市旧宮城村)」とか、「番頭が夜中に便所に立ったら、髪の毛があがったり、さがったりしていたという(みどり市・旧笠懸町)」などと見える。
また、娘は粕川を流れてきた子を道元が拾い上げて育てたもので、小さい時歯が生えていたとか(同笠懸)、「二階のひさしにあがって昼寝をしているのを見たら人間の子ではなかった(前橋市)」とか、直裁に「(娘が)昼寝をしていた。そのとき蛇の姿になっていた(赤堀)」などともいう。
離れた土地では「あるとき、庭に白いヘビが二匹来た。娘は、「今行くよ」とヘビにいったという(利根郡みなかみ町・旧月夜野町下牧・『県史』)」などと語られもする。このようになると、娘に起こった事件というより、赤堀の家の特徴という色合いが強くなるだろう(「赤堀家のヘビ子」なども参照)。