滝の御前

栃木県那須郡那珂川町

三輪に御城(みじょう)という城跡があるが、昔高瀬主膳守という城主がおり、美しい姫がいた。父母は、いつしか滝の御前と呼ばれるようにもなった姫の美貌に見合う、東国一の夫を娘に、とあれこれ苦心していたが、姫はというと一向に縁談に興味を示さなかった。

それどころか、噂が都にまで及んで諸国の城主から求婚があるのを煩わしく憂鬱に思い、ついには床に臥せるようになってしまった。そのようなある年の春。暖かくなったので姫は桜見物に行こうと、腰元などを連れ山の入へ出かけた。

そして疲れたので滝のほとりで腰をおろしたが、水面に映った自分の姿に姫は声をあげて驚いた。そこには、悪鬼の形相をした女の姿が映っていたのだ。姫は今まで自分を美人と思っていたが、その心の驕りがこの姿となったのか、と恥ずかしく思い、悲しみのあまり滝壺に身を投じてしまったという。それから、里の人は姫を哀れみ、その淵を滝の御前と呼ぶようになった。

小川町文化財資料集第9冊
『おがわの昔語り』(小川町教育委員会)より要約

滝の存在は現状不明。話のほうも、竜も蛇も出てこない。しかし、多くこのような姫の伝説は、姫がそもそも竜蛇神に請うて授かった娘だった、ないし、姫はすでに滝淵のヌシの大蛇に見初められていた、という構成であるものだ。この話には、そういった前提が脱落している雰囲気がある。

殊に、この土地が三輪であり、式内論社でもある三和神社の地であることを思えばなおさらだ。ただ、御城といわれる場所は今もあり、別名三輪館と呼ばれ、片平氏(那須氏)の平時の館だったというが、高瀬主膳守という人が分からない。那須氏は各地で三輪の神を祀り、おそらくその黎明から関係が深かったと思われるので、これも那須氏の話だった、というのなら話が早いのだが。