うまれっ子淵

原文

大田原市から北へ向って旧陸羽街道を行くと、芦野郷の寄居(現那須町)に出るが、その寄居から豊原に折れる途中の路に追田原という所がある。

この里では旧五月節句の菖蒲湯の由来について面白い伝説を残している。

今もこの里には古い屋敷跡が残っていて、年を経た南天の古木、苔蒸した古井戸等が、その昔の面影をわずかながら残している。

昔この家に年の頃十七、八の愛らしい娘がいた。野に出ては草を刈り、家にあっては機織を仕事として、いとも平和な年月を送っていた。

ところがある日、見馴れない若者がこの屋敷を訪れてからというものは、薬ではなおらぬ恋の病にとりつかれたか、毎日その若者がしのんで来るのを待ちこがれる身となった。

両親達が不思議な若者であると思う頃には、このいとしい娘がいつしか身重となっていた。

娘はきびしい両親の叱責に泣きながら、その日若者の帰る姿をわびしく門口に送って、そっと長い糸をつけた針を若者の着物につけた。その若者が何処の何者であるかをつきとめようと決心したからである。

こんな計画の行われたとも気付かない若者の後姿が、やがて山かげに見えなくなると、娘はぐんぐんとその糸をのばしてやった。やがて糸のたぐりが止んだので、娘はその糸を頼りになつかしい若者の後を追っていった。

日も沈んであたりが暗くなった頃、彼女は釜沢の奥にまで入って、やがて山の腹にある真暗な穴の口に立ったが、その時、彼女ははっと息を殺して立ちすくんでしまった。

それはその真暗な穴の中から、確かに何者かの話し声が洩れて来るのに気付いたからである。

「娘が孕んだとな。しかし菖蒲の湯に入り、その湯をのむと腹の子は必ず出てしまうもんだがなあ」

娘が恐る恐るその穴の口に近付いて、そっと中をのぞき込むや否や、倒れんばかりに驚いたのも無理はない。穴の中には二匹の大蛇がとぐろを巻いて、しかも人語を語っているではないか。

娘はあまりのことに仰天して、夢中になって逃げ帰ったが、耳に残った大蛇の言葉を忘れかねて、話のように菖蒲湯に入り、かつその湯をのんだところ、果たして胎内から何か出たが、それは見るも無気味な蛇の子であった。

娘は驚いて直ぐに走ってその子蛇を近くの黒川の淵に投じた。たちまち子蛇は冷たく水底に沈んで行った。後世このところに「うまれっ子淵」という名が残った。この奇怪な風説はまたたく間に村内にひろがり、娘はこの意外な出来事のために病床に苦悶する身となったが、村人達は大挙して釜沢の蛇穴を探りに行った。

しかしその時、大蛇の姿は何処かに去って影もなかった。

その後矢ノ目というところの山中で、村人が小笹を焼いたところが、その燃え拡がった煙に苦しめられて、矢ノ目権現のうつろの中から大小二匹の大蛇が現われ、たちまち山奥に逃げ込んだそうであるが、その後、その大蛇は再び人間の世に現われることがなかったと伝えられている。

小林友雄『下野伝説集 追分の宿』
(栃の葉書房・昭7)より