うまれっ子淵

栃木県那須郡那須町

寄居から豊原に折れる途中に追田原というところがある。古い屋敷の跡があるが、昔この家に十七、八の愛らしい娘がいた。働き者の娘だったが、ある日見慣れぬ若者が屋敷を訪れてからというもの、恋の病に落ちてしまい、若者が忍んでくるのを待ち焦がれる身となってしまった。

娘は両親に叱責され、若者は去ることになったが、娘は若者の着物に長い糸を針で付け、その行く先を知ろうとした。そして娘が糸を追うと、それは釜沢の奥の山腹にある穴の中へ入っていた。その穴の中から話し声が聞こえ、娘は立ちすくんでしまった。

声は、娘が孕んだといっても、菖蒲湯に入り、その湯を飲むと腹の子は出てしまうものだがな、と言っている。恐る恐る中を覗いた娘は倒れんばかりに驚いた。そこには二匹の大蛇がとぐろを巻いて人語を語っていたのだ。娘は夢中で逃げかえり、話の通りに菖蒲湯に入り、その湯を飲んだ。

生まれてきたのは見るも無気味な蛇の子であったので、娘はすぐにその子蛇を近くの黒川に投じた。それで、ここに後世「うまれっ子淵」の名が残ったという。その後噂は広まり村人たちが大蛇探しをしたが、矢ノ目権現で見られたのを最後に、もう大蛇は人の世には現れなかったという。

小林友雄『下野伝説集 追分の宿』
(栃の葉書房・昭7)より要約

うまれっこ渕、と余笹川流域を紹介する流域マップにも見え、黒川の黒川橋のあたりをいうようだ。多分にもれず、黒川の屈曲するあたりとはいえ、もう深い淵というのではないようだが。黒川はもう少しさかのぼると福島との境となるという川で、そういった那須でも端のほうの話となる。

話自体は、蛇聟入の典型的な筋であり、このようにその大蛇が子が堕りてしまう条件を語るのを聞く話を「立ち聞き型」という。方法は菖蒲湯に限らず、蛙を見せるだの水桶を置くだの他にもあり、菖蒲湯の話になると、その節句の習俗の由来の話となる。

しかし、この話で注目されるのは、その蛇の子を沈めた淵「うまれっ子淵」の名そのものだろう。これはこの伝説の反映というよりも、現実に子を流す淵があり、そこに伝説が重ね語られた、というもののように見える。

実際、蛇聟の話がよく語られた土地で、そこのおばあさんに話を聞いたりすると「実はそれは」となることはある。それはまだ軽々に紹介できるものではない、と私には思われ、このうまれっ子淵の話はかなりぎりぎりな事例といえる。蛇聟の話にはそういった側面がかなりある、という点は知っておかれたい。