竜宮のお膳

栃木県芳賀郡芳賀町

手彦子の大島家には奥に八畳の部屋があり、ある時代、そこに若い娘が住んでいた。若い娘には毎夜毎夜、若い侍が訪ねて来ていた。不思議に思った村人が、その侍の袴のすそに糸を付けて、その糸をたどって行くと、五行川の淵に着いた。さらにたどって行くと、その糸は竜宮まで続いていたということである。

「明日はお客さんが来るので、何膳ほしい」と頼むと、淵の所にその数のお膳がちゃんと上がっていた。後で、お膳を一〇膳だけ偶然返しそびれてしまった。それが大島家に伝わる竜宮のお膳だといわれている(町史に写真あり)。

今でも大島家では、田植えを行う前の丑三ツ時に、赤飯を入れたワラツトを二つ、当主が後向きに歩いて淵に投げ入れる。あとでだれかが梅ノ木堰を見て、そのワラツトが堰に引っ掛かっているときは、その年はあまり良くない年、引っ掛かっていないときはいい年になるといわれていた。(芳志戸 大島三郎)

『芳賀町史 通史編 民俗』より

しかし、このより家の話という側面の強い伝では、蛇聟のモチーフは後退し、膳が貸される関係の焦点が娘のほうに移っている。それは、八畳の部屋で竜宮から来る者を待っている、という点によく表れているだろう。八畳というのは蛇が出現する空間であり、各地の俗信でも八畳間で寝ると蛇になる、などという。