大谷津の鏡が池

原文

むかし大谷津地区の星の宮神社から、北へちょっと入った所にナ、大谷津城本丸があったと。

そこの裏にはナ、今は無くなっているが、大きな池があったと。

大谷津城のお姫様はお伴のものを連れてナ、池の畔を散策したと。

村の人たちは、そんなお姫様を見るのが楽しみであったと。

その池に映るお城と云ったら、言葉では云い現しようがない程綺麗でナ、その上、お姫様が池に映し出された姿は、富士のお山にも例えられるようでナ、村の人たちはお城といい、お姫様のお姿といい、その姿をそのまま映し出す池を、「鏡が池」と呼んでいるんだと。

お姫様も、村の人達も平和に暮らしていたが、ときは戦国の世、こちらは仕掛けなくとも、相手から攻め込まれてしまうことだってあるんだとサ。宇都宮氏と連合していた佐竹勢が突然、ときの声を上げて攻めて来たと。

ところが攻め込むお城は何処にもなかったと。

お城が大谷津の地形と、山の中腹にあると云うこともあってナ、しょっちゅう霧が出るところであったんだと。

それに合わせるかのように、池からも霧が発生して一段と濃くしていたと。

佐竹勢は、血眼になって探し回ったが、お城は見つからなかったと。

侍大将は「絶対に大谷津城はあるはずだー、さがせっ!さがせっ!。」

だが一向に霧が晴れる様子は無いんだと。

二日が過ぎても、一週間が過ぎても晴れることは無かったと。

ついに城攻めは諦めて烏山に向かって引き上げていったと。

大谷津城はその地形と共に、池から発する水蒸気によって、一層濃い霧となって城を守ったんだと云うことだ。

そう云うことがあってからだと。

その池を「城隠しの池」とも呼ぶようになったとサ。

おしまい(採話 平澤英子)

民話きじばとの会『いちかいの民話』より