食わず女房

栃木県芳賀郡茂木町

女房がいっこうに食う様子がないのが、やはり半信半疑で、ある日主人は早お昼の見当で、ふだんより早めに家へ帰ると、その女房は飯を頭のなかのつむじのなかへどんどんいれているところだった。見られた女房は、主人をつかまえ、髪の毛でしばって雲を呼び、天へのぼって竜となった。中天へ行くとき、髪の毛が抜け、地上へ落ちた。そこがちょうど蓬菖蒲の生えている所だった。男はその中へ隠れていると、竜はまた女房の姿となって降りてきて、ぐるぐるさがしたがとうとう見つからなかった。それがちょうど五月五日だった。(茂木町山内下平 大坪庚子寿)

類話:女房は蔵の中へ入って、生米を食べたとなっている。その姿を見た主人が、「なぜ、生米をたべるのか」と尋ねると、「沢山食べられるからだ」と答えた。やがて女房は蛇になって、蓬菖蒲の生えている池のなかへと入っていった。(茂木町烏生田 小森はる)

小堀修一『那珂川流域の昔話』
(三弥井書店)より

そちらの話題はそちらから追っていただくとして、ここでは上の茂木の二話に見える些細な点を気にしたい。最初の話で、竜は菖蒲の草むらに入った男を見つけられない。菖蒲が苦手だから入れない、のではなく「見つけなれない」というニュアンスが強い。

そして類話のほうでは、蛇女房は自ら菖蒲の生えている池の中へと入って行ってしまっている。多く軒菖蒲の由来などでは、その香りを蛇が嫌うので魔除けになる、と説明される蓬や菖蒲なのだが、ここではそういう感じではない。

ここで重要なのは、竜蛇をよける、という方法には、おそらく「蛇が苦手なもので避ける」というものと「蛇と同化してしまうものでカモフラージュしてしまう」というものの二つがある、ということだ。実はこれはシャマンがこの世ならざる者に対してとる二つの方法でもある。

現代では「よける」といえば前者だと固定して思いがちだが、昔はむしろ後者の発想のほうが重要であったかもしれない。そしてそれは菖蒲が「蛇の好む草花」とされる地域もある、という点とも符合する。この茂木の話には、そういった感覚がある可能性がある。