蛇光寺の大蛇

原文

峰山の裾は今は田んぼになっていますが、昔、ここに寺がありました。古い昔の話ですから、私は存じませんが「蛇光寺」という寺だったそうです。

昔ここらあたりの村は三年も続いて凶作に見舞われました。やっととれた米の全部をかき集めても、年貢にも足りないほどで、米や麦を作る百姓が、その米や麦を一粒も食べられませんでした。でも年寄りにはかわいそうだといって、どこの家でも水みたいなうすいおかゆを作って食べさせていました。年寄りは年寄りで、かわいい孫たちがかわいそうなので、こっそりと孫を呼んで食べさせ、自分では水ばかり飲んでいたのです。

ところがどうしたことだろう。村といっても二十戸ほどしかない小さい村でしたが、ある朝、家の門口に一握りくらいの米が配られておりました。それからというものは、雨の日でも風の日でも、決まったように米やら麦やらが村中に配られるようになり、時にはさつまいもなども置いてあることがありました。

村の人々は大喜びでした。でもいったいだれがどうして運んでくるのでしょう。これはきっと神さまか仏さまの仕業だというようになりました、村の人全部が飢え死にするばかりのときでしたし、姿を見たこともないからそう思うのも無理はありませんでした。

その頃、不思議といえば、今までめったに姿を見せなかった寺の和尚さんが、深編み笠をかぶって手に鈴を鳴らしながら、一軒一軒読経して回る姿が見られるようになったことでした。またさらに不思議なことに

「そのお坊さんには影がない」

といい出す者もでてきました。そうしている間、誰いうとなく

「おらんちの村の和尚さんは偉い和尚さんなんだ」

となりました。

そして鈴の音が聞こえてくると

「そら、またお出でなすった」

と外に出て手を合せ、後ろ姿が見えなくなるまで手を合せて

「なんまんだぶ、なんまんだぶ」

とありがたさに毎日念仏を唱えていました。そうこうしているうちに、その和尚が次第にやせていくのに気づきました。

やがて峰の落ち葉が散りはじめる頃になると、和尚の姿は三日に一度、やがて五日に一度しか見えなくなり、粉雪が降る頃になると、和尚の姿はプッツリと見えなくなってしまいました。村人たちは心配でたまりません。

「どうしたんだろう。うちの和尚さんは」

「和尚さんは病気にでもなったのではないだろうか」

心配のあまり村人たちは、名主の儀十さんを先頭に寺に行くことになりました。寺はずいぶんと荒れており、もうお香の煙もありませんでした。寺に入った一同は一声に驚きの声をあげました。うす暗い庫裡の中に、今まで見たこともないほど長い大蛇が、皮ばかりになって横たわっておりました。

村人たちは自分の親にでもすがるように、死に絶えた大蛇にすがりついて、大声をあげて泣きました。托鉢に出て米や麦を一軒一軒に配り、飢饉から村を救ってくれたのは大蛇だったということでした。

このことがあってからこの寺を「蛇光寺」と呼び、手厚く大蛇を葬ったということです。

石岡光雄『氏家むかしむかし』より