蛇光寺の大蛇

栃木県さくら市

峰山の裾に蛇光寺という寺があったという。昔、このあたりに三年も続く凶作があり、村人は食うや食わずで苦しんでいた。ところが、二十戸ほどの村だったが、ある時から家々の門口に一握りの米が配られるようになった。雨の日にも風の日にもそれは配られた。

神仏の加護だと皆は喜んだが、原因は不明だった。また、不思議といえば時を同じくして、今まで姿を見せなかった寺の和尚さんが、読経をして村を回るのが目にされるようになる、ということがあった。その和尚さんには影がない、と噂する者がいたという。

皆は偉い和尚さんの姿をありがたがったが、その和尚さんは日に日に痩せて行き、秋には三日に一度しか見えなくなり、やがて五日に一日になり、冬にはぱったり姿が見えなくなってしまった。そこで村人たちは心配して、名主を先頭に和尚の寺を訪れることにした。

寺は荒れ果てており、香の煙もなかった。そして、村人たちは庫裡を覗いて驚いた。そこには、見たこともない大蛇が皮ばかりになって息絶えていたのだった。皆は大蛇が和尚の姿をとり、家々に米を配っていてくれたのだと悟り、泣いて大蛇にすがった。それより寺を「蛇光寺」と呼び、飢饉から村を救ってくれた大蛇を手厚く葬ったという。

石岡光雄『氏家むかしむかし』より要約

建長寺の狢和尚は下手を打ったものだったが、野州にはこういう蛇の坊さんがいたのだという。が、一応氏家(現・さくら市内)の話となっているが、詳細な位置などは分からない。両毛岩船の方にも同名の民話が見える(内容は未見「いわふねの民話集」)。

寺の名としても、蛇光寺・蛇光院などという号が実在したとは考え難い。あるいは近い音の名が転訛したのか、とも思うが、伝説の地がどこなのかはっきりさせるとともに、そういう寺があったのかどうかも調べる必要がある。