稚児が淵

栃木県那須塩原市

福渡戸から十二、三町手前、箒川の渓流に稚児が淵という由緒深いところがある。三百年ほど前のこと。ある旅僧が稚児を連れ塩原温泉に現れた。僧はその稚児を愛すること限りなかったが、その後、もうひとりの稚児が僧を慕い訪れ、しだいに後から来たほうの稚児を寵愛するようになった。

前の稚児はこのことを深く悲しみ、衰えゆく僧の寵愛を恨んで、淵に身を投じてしまった。それで稚児が淵というが、その稚児の執念は凝って大蛇と化し、淵の主となって一切の人を呪い世を恨み、さまざまの復讐を企てるようになった。

ところが、大蛇は福渡戸の百姓内蔵之丞の家に伝わる名刀・三条宗近の霊威に抑えられ、思うように動けなかった。そこで大蛇は、内蔵之丞の家に何かあるときには、鍋釜膳椀などの必要品を取り揃えて岩上に置き貸与した。それで釜石という石が今もある。

こうして内蔵之丞を足しげく淵に来させるようにした後、大蛇は美女となって内蔵之丞の前に現れた。そしてその腰の宗近を奪い取って、淵に投じたのだが、そのさい大蛇も傷つき、七日七夜淵は血に染まったという。

さらに、後の雨の夜、大蛇はまた美女と化して内蔵之丞を訪れ、奪ったもののこの刀は自分にはどうもならぬ、と宗近を返してきた。これより大蛇が出ることはなかったが、名刀宗近を中心に種々怪異な災難が続くので、刀は塩原富士山の浅間神社に奉納されたという。

小林友雄『下野伝説集 あの山この里』
(栃の葉書房)より要約

原話の前文にもあるが、一帯は『金色夜叉』に描かれた地ということで、稚児が淵も幽玄に現存する。宗近というと、小狐丸を鍛えた刀匠だが、上州邑楽の光恩寺には自ら蛇となった宗近の名刀というのもある。もっとも、稚児が淵の話も話によっては正宗であったりいろいろなのだが。

後段の刀を奪いに来る蛇の話もいま一つ筋が通るような通らないような変わった話だ。ヌシの大蛇がヌシ争いの加勢に旧家の名刀を頼むという話は北信から越後によく見られるが、そういった話の変形だろうか。現状よくわからない。