蛇窪と蛇場

栃木県矢板市

高原山の大間々平の南の広場の西に蛇窪という地名があり、大昔夫婦の大蛇が仲良く暮らしていた。夫婦大蛇は天気の良い日は東の沢の大蛇窪(おおじゃく)まで遊びに行ったりもしたが、様子を見ていた女神である山の神がこの仲睦まじさに嫉妬し、夫婦大蛇の仲を引き裂こうと大噴火をおこした。

火柱と真っ黒な噴煙を上げる高原山の噴火は、やがて大嵐を呼び、二匹の大蛇はその大水に流され別れ別れになってしまった。男の大蛇は金精川を流され上伊佐野付近へ流され、恐ろしい高原山の見えない窪地を見つけ、落ち着いた。ここを蛇場(じゃば)といい、周囲に蛇場前・蛇場脇の名もある。

女の大蛇は内川へ流され下流の荒井の渕でやっと岸に上がることができた。そしておろおろと住む場所を探して東の土屋境の山間に辿りついた。その窪地にはヘビノネコザという植物が一面に生え、蛇窪(じゃくぼ)と呼ばれるようになった。これも周囲に蛇窪前の名もあり、「じゃくめぇ」の名になったという。

矢板市郷土文化研究会
『矢板の伝説』より要約

蛇場は小字として今もいい、遺跡名などにも冠されている。蛇窪は不明。自然災害を蛇の動きで語ったわかりやすい伝説といえる。ただし、高原山は火山群で活火山だが、最後に水蒸気爆発があったのも六千五百年前だという。はたして、その記憶があったものだろうか。