赤蛇と白蛇

原文

むかしむかしのお話です。湯泉(ゆぜん)の森は鬱蒼としていました。樹齢が四百年も経たと思われる赤樫(アカガシ)が群生していました。目通り周囲が三メートル程の老樹が、その枝を重ね合わせて、木洩れ日が点々と境地一面に這いまわっているアカガシの根に落ちて、太古の世界に誘われます。わたくしたちは多くの神社に詣でて神社の森に接することがありますが、この大豆田の湯泉神社の社叢ほど、山気を感じ、おごそかな心になるところはありません。自生のアカガシの群落のなかに、大己貴命・少彦名命などの神々が鎮っているからであります。

この社はそのむかし大豆田の草分けの方がその先祖をまつったといわれていますが、今は総鎮守となっています。むかしこの湯前の森に「赤へび」と「白へび」とがすんでいました。里の人々は、幾歳月を経たアカガシの老樹のうつろの中で見かけた人もあり、南のくぼみに湧出する清水の草むらでみた人もありました。なかには白へびが那珂川の渕にある手箱岩のあたりにもどるところを見かけたという人がありました。里の人々はこの赤と白の一番いのへびは湯泉さんの神のお使いであると思っていましたので、殺したりする者はだれ一人としてありませんでした。なかには紅白の神使の姿が草むらに失せるまで合掌する老翁もあったほどでありました。

ところがいつのころかよくわかりませんが、ある夏の夕立のとき、湯泉さまのアカガシに落雷があり、幹から根元まで焼け通ってしまったことがありましたが、そのときこの赤と白の二匹の蛇が、運悪く焼け死んでしまいました。里の人々はそのなきがらを埋めてやろうと思いましたが、不思議なことにその影も形もなくなってしまいました。神さまのもとに還られたのではないかとうなずき合ってその冥福をお祈りするのでありました。

それから長いこと時が流れた後の世のことです。この里にいたって臆病な若者がいました。しかし小さな虫などを見るとおそろしいと思うのですがすぐ殺してしまう癖のある人でありました。或日のことです。この若者が野良に出たとき落日の陽をうけた藁ぼっちのところで大きな蛇がねているのをみつけました。こわごわ近寄ってみますと、不思議なことに頭に真赤な玉がついていました。夕日を受けてきらきら輝いてそれは磨きあげたルビーのような美しさでありました。若者はその美しさに魅せられるとともに残ぎゃくな心がむらむらと起きて、蛇のおそろしさも忘れて棒きれをもってきて、うずくまっている蛇をめがけてたたきつけ、殺してしまいました。ところがこの時もその珠玉はおろか、その蛇も姿も消え失せてあとかたもなくなってしまいました。里の人々は、「この真赤な玉をつけて蛇は湯泉の森にすんでいたあの赤へびの生れかわりであったのではないか、神のおつかい蛇であろう。」と話し合いしたそうです。

そのことがあって間もなくのことでありました。その若者が一番可愛がっていた子どもが、病気でやせ衰えてしまいました。手厚い看護の手をつくしましたが、病気の原因がわからないので、家族の者はおろおろするばかりでありました。ところが或ま夜中のことでありました。静かに寝ていたその子どもが急にはね起きて「とうちゃん!蛇がこわいよう。」と泣き叫び、湯泉の方に向って手をあげたのでありました。若者は胸に思うことがありましたので、わが身の臆病なことも忘れて、草木も眠るという丑満時にもかかわらず、湯泉さまの社頭に立って、珠玉を戴いた蛇を殺したことを詫びて、これから殺生なことをしないことを誓ったそうです。それからその子どもは健康をとり戻したということです。

 

☆この原話はこの地方にひそかに伝えられているお話です。原話では、蛇がこれを殺した若者の一家をのろって子どもを殺したという終末になっていますが、本稿は若者の改心により快復した形をとりました。蛇を神使とみるのは古代人の心である。特にこの神は温泉の社である。「温泉」を「ゆぜん」と読み「湧泉」を「湯泉」とみて草創期に水徳をみたその恩恵を奉謝し、讃仰する心が祖先崇拝と結びついてその守護神である大己貴命・少彦名命を齋きまつる社であるから、泉に因んで蛇の伝説が生まれたのは当然であったでしょう。現に水湿の地が周辺にありますのでなおさらである。

赤蛇はこの社叢のアカガシに発想しての付会でありましょう。白蛇は同じ大豆田に高黒にあり、そこの「手箱岩の白蛇伝説」が混淆したものでしょう。この湯前の森の伝説が赤蛇が主役になっていることでもそれがわかるような気がします。温泉神社は那須家が信仰したところであるから、源平の紅白が発想となって「赤へび、白へび」の伝説がうまれたとは考えられない。強いておし測れば、赤樫のあるこの地と白蛇伝説地の手箱岩のある地「高黒」が同じ大豆田村を形成していたことでありましょう。何れにしても珍奇な蛇を象徴すればよかったのかも知れません。なおこの伝説には、生きもの、神使の蛇をあやめるとそのたたりがあるという古代人の民間信仰が付加されていることをのべておく。

県内には一番多く祀られている社は(有名社三五四)大国主命であるが、そのうち大己貴命の名で温泉神社としてまつられているものは一〇〇社でその大部分は那須郡に限られている。

阿久津正二『黒羽地方の伝説集 鵜黒の里』より