三つの石

原文

日光市の南の小来川と、日光の町のあいだは、見わたすかぎりの山つづきで、その山の中には、まがりくねった一本の道が通っています。

その道のちょうど中ほどに、人家がぽつりぽつりと谷間にちらばっている、滝が原というさびしい村里があります。この村へはいる東の入口には、蛇石、馬石、鞍石という三つの大きい石があります。そして、その近くには、毒水といわれる水が流れています。

むかし、日光山には、たくさんのお坊さんが住んでいました。その中に、領内の村々から税金を取りたてる仕事をしていた、ひとりのお坊さんがありました。このお坊さんは、日光の近くの村々をまわっては、村人から税金を集めていました。どんなに村人がこまっても、きちんきちんときびしく税金を取りたてるお坊さんなので、村人たちはたいへんうらんでいました。

ある年のことでした。その年は、日光の近くの村々では、田畑の作物がほとんどみのりませんでした。それで、この山の中の滝が原でも小来川でも、村人たちは、お金はもちろん、食べるものもなくて、くらしにこまっておりました。

そこへいつものように、日光からお坊さんが、税金の取りたてにやって来ました。お坊さんは馬に乗り、二人の弟子を連れて、山道をこえて滝が原にはいって来ました。そして、一けん一けんの家々をまわって、税金の取りたてをはじめました。

くらしにこまっている村人たちは、どこの家でも同じように、このお坊さんに、

「わたしたちは、ほんとうにこまっています。どうか、こんどだけはゆるしてください。このつぎには、きっとおさめますから。」

と、手をあわせてお願いしましたが、お坊さんはゆるしてはくれませんでした。泣いてお願いをしてもだめでした。

お坊さんは、滝が原の家々からむりに税金を取りたてて、こんどは、つぎの小来川の村へ向かおうとしました。

小来川の村人たちは、伝え聞いて、お坊さんが来るのを知っていました。それで、

「よし、日ごろのうらみをはらすのは、このときだ。」

と、みんなで相談をしました。村人たちは、お坊さんたちが、一方は高い山、一方は深い谷川というおそろしい山道にさしかかったとき、山の上から大石をころがし落として、三人ともいちどにおしつぶしてしまおう、と考えました。

そして、山の上にたくさん集まって、お坊さんたちが来るのを、今か今かとまっていました。こういうことを、すこしも知らないお坊さんは、弟子たちと三人で、その山道へ通りかかりました。

まちかまえていた村人たちは、三人の頭の上へ大石をごろごろと落としました。石は地ひびきをたてて、いきおいよくころげ落ち、馬と二人の弟子をたちまちおしつぶしてしまいました。しかし、お坊さんだけは、たおれて死んだ馬にまたがったまま、落ちてきた大石にからだをはさまれて、もがき苦しんでいました。

そこへ、山の上から村人たちが、どやどやかけおりて来ました。お坊さんに近よって、

「やい、坊主、おまえは今までわれわれを苦しめていたな。そのうらみ、思い知れ。」

と言いながら、おのをふりあげて、切りころそうとしました。

すると、お坊さんは、顔色をかえながら、

「ちょっとまて。」

と言うのといっしょに、

「この馬と鞍は石になれ。われら三人はへびとなって、この沢に毒水を流してやるぞ。」

と言いました。言い終わると、お坊さんは、たちまち村人たちに、おので切りころされてしまいました。

それからまもなく、お坊さんの言ったとおり、道の下の谷川の中に、馬が頭から背まで出した形の馬石と、道ばたには、蛇石と鞍石とができました。

それからというものは、蛇石をひとまわりしてから、その近くに落ちている石をひろって、三回投げつけると、きまったように、大きいへびが一ぴきと小さいへびが二ひき、蛇石のところから出てくるといわれています。そして、この大きいへびは、ころされたお坊さんのたましいであり、小さいへびは、お坊さんの弟子たちのたましいであるということです。

また、馬石は、馬の頭のところがくぼんでいます。そして、そこには、いいつも水がいっぱいたまっています。村人たちのあいだでは、だれ言うとなく、

「この水は、なんの罪もないのにころされた馬が、くやしさに目になみだをいっぱいためているのだ。」

といわれるようになりました。

毎年、冬になって、谷川の水のかれることがあっても、このなみだ水のかれることはないといいます。あるとき、村人のひとりが、

「これはふしぎなことだ。よし、調べてみよう。」

と言って、なみだ水のあるところを、のみで切りつけてみました。すると、その切り口から、まっかな血がどろどろと流れ出たので、おそろしくなり、途中でやめてしまったということです。

鞍石は、蛇石から二百メートルくらいはなれたところにあって、道路から谷川のほうへつきでて立っています。

数十年前のこと──。村人たちは、道路を広げるために、この石をばくはしようとしましたが、何回やってみても、どうしても石を割ることができなかったといいます。それで、今でもむかしのままの鞍の形で、道ばたに残っています。

また、お坊さんがころされたときに使っていたという鞍が、大石につぶされてこわれたまま、今も小来川の円交寺に、大切に保存されています。

蛇石と鞍石のあいだの沢には、高いところから水が流れてきますが、これは、村人にころされた三人が、へびとなって流す毒水だといわれています。この山道を歩く人たちが、ちょうどのどがかわいて、水が飲みたくなる坂道の上に、流れ落ちている水なのです。しかし、どんなにのどがかわいて水がほしくなっても、村人たちは、

「この水には毒がはいっている。飲んではいけない。」

と言って、だれも飲まないということです。

この毒水が谷川へ流れ落ちる向こう岸は、はてしなく杉の林がつづいています。そして、いつごろだれがつくったのかわかりませんが、お坊さんと弟子たちのお墓が、今でもこけむして、その林の中にさびしそうに立っています。

栃木県連合教育会『しもつけの伝説 第8集』より