竜だった妻

原文

佐野市の吾妻地区には、五つのお寺がありますが、不思議なことに、その中の四つの寺に竜の名がついています。村上町の竜泉寺、上羽田の竜西院、竜江院、それに下羽田町の竜源寺がそうです。わたしはこのことにたいへん興味を持ち、ある時、竜泉寺の住職さんに、

「これは、何かいわれがあるのでしょうか。」

と、たずねてみました。すると住職さんは、次のようなあわれな話を教えてくださいました。

むかしむかし、このあたりに、とても正直で心のやさしい働き者の吾作という若者が住んでいました。兄弟もなく両親も早くになくなって、たったひとりでくらしておりました。

ある秋の夕ぐれのことでした。吾作が、いねかりを終えて家に帰るため、旗川という川の土手にさしかかりますと、土手のかたわらに若い女がたおれています。おどろいて近づきますと、そのむすめは、両足をかなりけがしたとみえ、白い足からタラタラと血が流れていました。つく息もあらく、とても苦しそうに顔をゆがめておりました。

親切な吾作は、たいへん気の毒に思い、むすめをせおって、急いで家に帰りました。むすめの両足には、むざんにもするどい歯でひきさかれたような深い大きな傷ができていました。吾作は、薬をつけたり、布をまいたりして傷の手当をし、ふとんをしいてねかせてやりました。しかし、むすめは気を失ったまま、高い熱もさがらず、ひたいからあぶらあせをいっぱい流して苦しんでおりました。

それでも、二日二晩吾作の親切な看護によって、むすめはいのちを取り止め、熱もさがり、パッチリと目を開きました。おかゆもたべられるようになり、だんだん元気になってきました。むすめは吾作に、いのちを救ってくれたお礼を、くり返し言いましたが、吾作が、「あなたは、いったいどうしてあんな大けがをしたのです。それに、これからどこに行こうとしたのですか。」

と、聞きますと、むすめはうなだれたままなんとも返事をしません。かさねて聞きますと、悲しそうにすすり泣くだけでした。わかったことは、むすめの名前がお竜(りゅう)ということだけでした。

長い冬がすぎて、明るい春がきました。吾作とむすめは、ひたいにあせしてせっせと働きました。やがて苗代づくりも終りました。ふたりはあぜ道にこしをおろしてひと休みしました。吾作が言い出しました。

「お竜さん、おらたちのことを村の衆がなんてうわさしているか知ってるかい。」

お竜は、だまってうなずきました。吾作はいそがしくあせをふきながら、

「それでよ、うわさはどうでもよいが、おら、お竜さんをおらの嫁っ子にほしいんだが、どうだね。」

と、はずかしそうに言いました。お竜は、しばらくだまっていましたが、やがて、つぶやくように言いました。

「おせわになっていて申しわけありませんが、わたしは、どうしてもお嫁になれないのです。三年後の秋になると、行かなければならない所ができるのです。」

それを聞いた吾作の目には、ひとつぶの大きななみだが光りました。それを見たお竜は、すまなさと、吾作の心のやさしさに、むねがいっぱいになってしまい、つい、

「吾作さん、それほどわたしを思っていてくれるのでしたら、三年間というお約束で、いっしょにくらさせてください。」

といいました。

働き者の吾作とお竜は、村人がうらやむほど仲よく、一生けんめいに働きました。新しい家も建てました。ふたりの間には、かわいい男の子も生まれました。かせぐに追いつくびんぼうなしのたとえのとおり、お金にも不自由しなくなり、幸せの中にくらしておりました。

幸せの月日のたつのは早いものです。やがて約束の三年間の終わりが近づいてきました。その日が近づくにつれて、お竜は顔色も悪くなり、考えこんでいる時が多くなってきました。

「お竜よ。顔色がばかに悪いじゃないか。あしたでいねかりも終わりだが、どこぞぐあいでも悪いのとちがうかい。」

吾作が心配して聞くと、

「吾作さん。わたしは、この子を置いて、あなたと別れなくてはならないことが、とてもつらいんです。」

と、なみだながらに言うのでした。

吾作は、はっとしました。三年前の春の夕方を思い出したのでした。あの時、お竜はああ言ったものの、その後は少しもその約束のことにふれませんでした。だから吾作は、お竜がはずかしくて、そう言ったまでのことと思い、すっかり忘れていたのでした。

「別れなければならない。行かなければならない。」

このことが、吾作の心にも、お竜の心にも、重苦しくかぶさってきました。ふたりは、だんだん無口になり、ひとこと話すのにも、傷口にふれるような気の使いようになりました。吾作はただ、

「お竜よ。どうか家にいておくれ、この子を残して行かないでおくれ。」

と、ひたすらいいのるばかりでした。

秋がだんだん深まってきました。まわりの山々は、赤や黄色の紅葉にいろどられ、遠くの山は、うっすらと雪げしょうをしてきました。

ある朝のことです。コトリというかすかな音に、吾作は目をさましました。はっと思ってとなりを見ると、ねているはずのお竜の姿が見えません。吾作は、あわてて赤んぼうをだき、戸外にとび出しました。朝もやが白くたちこめる中に、お竜の走り去る姿が見えます。吾作はむちゅうで走りました。

「お竜、お竜よ。待ってくれ。」

走りながら大声でさけびましたが、お竜は止まろうとはしませんでした。

前の方に大きな沼が見えてきました。ジャブン、と水音がしたかと思うと、お竜の姿はもうなくなって、吾作が沼についた時には、水の輪だけが広がっているばかりでした。

思わず吾作が、くずれるようにこしをおろそうとした時です。今まで静かだった沼の中央が大きくゆれ動き、うずまきが起こったかと思うと、その中から一ぴきの大きな竜がおどり出てきました。竜は、吾作の頭の上をなごりおしそうに、二・三度まわると、やがて天を目ざしてのぼり去ってしまいました。

吾作は出家して僧になり、沼の近くに小さな庵を建てて、天にのぼった竜の供養を続けたということです。

栃木県連合教育会『しもつけの伝説 第8集』より