竜だった妻

栃木県佐野市

昔、正直で働き者の吾作という若者がいたが、ある夕暮れに川の土手に若い女が倒れているのを見た。女は両足に怪我をしたと見え血を垂らしていたので、吾作は背負って帰り、手当てをしてやった。回復した娘・お竜(りゅう)は、その礼にと、家にとどまり田畑を手伝ったが、怪我の訳などは話さなかった。

やがて共に働く吾作とお竜は夫婦のようだといわれるようになった。それで吾作はお竜に求婚したが、お竜は三年後に行かなければならない所ができるのだ、といった。しかし、言われて悲しむ吾作を見、お竜はその三年の間ならば、と一緒に暮らすことを受け入れた。

それから二人は皆がうらやむほど仲良く暮らし、新しい家も建ち、かわいい子も生まれた。それでも、期限の三年が近付くにつれて、お竜の顔色は悪くなっていき、考え込む時が増えるのだった。そしてついに、吾作とわが子と別れるのはつらいが、もう行かなくてはならない、と告げた。

ある朝、吾作が起きると、お竜の姿がなかった。慌てて赤ん坊を抱いて戸外に出ると、走り去るお竜の姿が見える。行かないでくれ、と叫んだ吾作だったが、お竜は沼まで行くと水音を立て入り、そこからは大きな竜が躍り出たのだった。

竜は吾作の頭の上を名残惜しそうに二三度回ると、やがて天を目指してのぼり去って行った。吾作は出家して僧になり、沼の近くに庵を立て、竜の供養を続けた。吾妻には五つの寺があるが、うち四つの寺に竜の名がつく。それはこのような伝説があるからという。

栃木県連合教育会『しもつけの伝説 第8集』より要約

吾妻地区は佐野市のほぼ南端西側にあたり、村上町の竜泉寺、上羽田の竜西院、竜江院、それに下羽田町の竜源寺がその四つの寺にあたるという。寺は皆今もある。しかし、話を見てもそれでなぜ四つの寺に竜がつくのかというとはっきりしないし、中核となった沼と庵というのも不明。吾作の妻で吾妻、という壮大な話なんだろうか。