お小夜沼

原文

(一)

下都賀郡国府村(栃木市)字大光寺花見が岡という所に、お小夜沼という小さな沼地がある。昔はこんもりとした森の中に秘められていた神秘な沼で、ものすごいまでに深いみどり色の水がたたえられていた。

この沼に一つの物語が伝えられている。

七百五十余年前の承久年間の頃、このあたりに太吉とお小夜という夫婦者がわびしい暮しを立てていた。お小夜は田舎には珍しい美女で、気立てもいたって優しかったから、夫の太吉は特にお小夜を大切にして、夫婦仲は評判なほどむつまじかった。

ところがある時お小夜はふとした風邪が病みつきで、どっと床についたなり、いつまでたってもよくならない。太吉の心配は、はたで見る目も痛々しい位で、医者よ薬よとできるだけの看病をしたものの、病気は少しもよくならない。

この上は弁才天の御慈悲におすがりするよりほかに道はないと考えたから、仏に祈って二十一日間の願をかけることにした。

このことがお小夜に知れると、かえって気をもませると思ったから、太吉は夜おそくお小夜がよく眠った頃を見はからって、そっと寝床をぬけ出して日参するのを常とした。

頃は夏の終りであった。暗がりを縫う蛍の光に魂を奪われ、森になくふくろうの声に胆を冷しなどして、それでも女房のためとあって、毎夜弁才天のお社に祈願をこめた。お小夜の病気はこの夫の熱誠が通じてか、少しずつ良くなってゆくように思われて、彼の熱心さが日に日に加わっていくのであった。

いよいよ二十一日目の満願の夜となった。いつものようにお小夜の寝息をうかがって、そっと起き出した太吉の姿を、お小夜ははからずも見つけてしまった。

優しい心のお小夜であったが、病のために傷つけられた心のひがみか、それとも女心のあさはかさからか、あれやこれや思い廻らされて心安らかならず、どうにも眠ることができなくなった。

『男心と秋の空、きっとわたしの病気に愛想をつかして、あだし女の許に通うに違いない。こんな時刻に他に用があるはずはないものを』

昔から女心にはこの邪推と嫉妬とが蛇のようにからみつくものと見える。こうなってくると、もうじっとしておられない。

立ちあがることさえできない重態の身をむっくと起して、よろよろと夜露の冷たい外に出てしまった。さても人間の世で最も怖ろしいものは、うたがい深い心の迷いであろう。

髪は乱れて肩にかかり、病みほおけた身は糸のように細かったが、折からの月光をあびて、ひたすらにいそぎゆく夫の後姿を見ると、むらむらと憤りが胸に燃えてきた。だからその青白い顔はまるで幽霊のようにものすごくゆがんで見えた。

おおわが夫は歩一歩と自分から遠ざかってゆく。お小夜がその病身の身を、夜露に濡らしながら、よろよろと夫の後を尾行するとは、さすがに神ならぬ身の知るはずはなかった。

 

(二)

やがて太吉はいつものように、獺の水を渡る大光寺沼の傍らなる弁才天の社の前に立った。そして地にひれ伏して、泣かんばかりになって病気平癒の最後の祈願をこめるのであった。

『弁天さま、こうして毎晩お参りするこのわたしをふびんと思召されたなら、どうぞかわいそうなお小夜を救ってやって下さい』

近付いてこのありさまを見たお小夜が、驚いたあまり、ふらふらと倒れかかって、沼の端の木に危くささえられたのも決して無理からぬことであろう。

夜ふけて弁才天に祈る夫の姿は、いまさらながらもったいない神の姿であり、仏の姿であった。

『このありがたい夫の心を、たとえ一時たりとも憎むとは、あまりにも不甲斐ない女心であった。相済まない、もったいない』

と深く心に悔いながら、ふと沼の面に写った自分の影を見ると、青白い月の光に照らし出された、見るもものすごい一頭の大蛇であったから、お小夜の驚きはひとかたでなかった。思わずキャッと叫ぶとともに「どぶうん」という水の音、身はさかしまに水に落ちて、見る見る底深く沈んでしまった。

こうぼねの花が月の光に泣き濡れて、しばらくはわなわなと動いていたが、やがて水の面は静かになり、永久にお小夜の体は魂とともに水底深く消えてしまったのだ。

その後村人達は、この沼の主は蛇の化身お小夜であるといい、沼の名もお小夜沼と名づけられた。ものぐるおしいお小夜の大蛇は、その後血を喜んで人畜を害することしきりであった。

親鸞上人五十二歳の時、八島明神の請託により、この大光寺村の蛇女を御済度遊ばれ、成仏の奇瑞を現わし給うて、非常に御満足に思召し、お小夜沼の水を鏡として自分の像を彫刻せられ、御弟子順信に伝えられた。

これが今日「花見が岡大蛇御済度満足之御真影」と称せられて、宇都宮市西原町安養寺の寺宝として安置されているという。

なお同寺にはお小夜が成仏の際、その奇瑞として献じた物であるという「大蛇の爪」なるものも伝えられているとのことである。

※前出の『花見が丘』における伝説と同一異名のものである。黒川を距てて西の方では花見が丘の伝説を、東方では全くこれと異なるお小夜沼の伝説を持っていることは、他に類例がないものである。

さらにこの伝説とほとんどその内容を同じくするものが、那須郡那珂村(小川町)お経塚の伝説として存在していることも、また奇妙というべきであろう。

小林友雄『下野伝説集 あの山この里』
(栃の葉書房)より