出石丸

原文

市街地を出て、国道五〇号線を東に行くと、大久保坂と迫間坂のちょうど真ん中あたりの左手──国道から七、八十メートルほど北にはいった田んぼの中に、松の木が一本立っています。

ここは迫間町(旧富田村)の西浦というところで、松の根方は、ざっと二十平方メートルぐらいもありましょうか、こんもりと盛りあがって丘のようになっています。

昔は何もさえぎるものがなかったので、田んぼの中にポツンと小高くなっている形が、まるで大きな河の中に浮かぶ小島のような感じで、遠くからでもすぐわかりましたが、最近は人家も多くなり、よほど気をつけていないと見落としてしまいそうです。

丘というのは、広辞苑によると──土地の小高いところ、低い山、小山──とあります。おそらく、けずられてしまったものと考えられますが、現在ではそれほど高くもなく、大きくもないので、丘というのは適切ではないかも知れませんが、ほかに適当な表現も思い当たりませんので、丘ということで話を進めていくことにします。

この丘の上の北よりのところに、ひとかかえ余りの石があります。昔から何回、いや何十回となく、この石を取り除こうとしたことがあったそうですが、いくら掘っても掘りきれずに、そのままになっているのだそうです。

〝氷山の一角〟ということばがありますが、この石もそれと同じで、地上に顔をのぞかせているのはほんの一部分で、もとは丘全体が石だったところに、長い間に土砂がかぶさり、草が茂って、丘のようになったといわれています。

これでは掘れないのが当然ですが、その大きな石の一部が地上に出ていることから、迫間の「出石丸」といい伝えられているものです。

最初に、松の木が一本立っている──と書きましたが、これは黒松で、土地の古老は、

「枯れてしまったかと思うとまた生き返る。こんなことを何回か繰り返し、そのたびに村人をガッカリさせたり、喜ばせたりしてきた。どういうわけか知りませんが、私が子供のころとそっくりそのままで、少しも大きくなりません。まったく不思議な松です」

と、首をかしげています。

この不思議な松の根元、出石丸の一メートルほど南に、岩石の中央を長方形に刻んだものがまつられていて〝弁天さま〟と呼ばれています。

三年ほど前のこと、この土地を買い受けた人が、石をどかそうとして、まわりを掘りました。これは結局、いい伝えどおり〝骨折り損のくたびれもうけ〟に終わりましたが、そのとき土中から文久銭や天保銭など、五種類の古銭が出てきたそうで、これは弁天さまのお賽銭と見られています。

これも古老の話ですが、ここには、宝物を入れた瓶が埋められている──という昔からのいい伝えがあって、そのために、この弁天さまを「かめ弁天」ともいうそうです。

昔話ですが、この弁天さまのそばに、死んだ蛇を置いておくと、翌日には影も形もなくなっているので、子供たちは死んでいる蛇を見つけると、わざわざ、ここまで捨てにきたということです。(迫間町)

台一雄『足利の伝説』(岩下書店)より