何百年も昔のこと、大層貧しい子沢山のお百姓さんがおりました。
年の暮れもおしつまったある日のこと、借金とりが毎日のように現われては、矢の様な催促の日がつづきました。
この夫婦は、朝早くから畑仕事に出かけ、夜は周りの人達が寝静まったころまで働きましたが、それでも毎日が乏しい暮らしでした。
夫婦は途方にくれ思い余った末、三人の娘達を江戸に奉公に出す事を決意しました。
それはそれは、我が身を切られるほどつらいもので、後髪を引かれながら父親が三人の娘を連れて出かけて行きました。
そして、無事奉公先に娘を置いた父親は、その奉公金をふところに入れた帰り道、ふだん持ちつけない大金に魔がさしたのか、途中の遊郭に寄ってしまいました。
一夜明けてふところを見ると、奉公金が一銭も残っていないのに気がつき、その場にガックリと坐り込んでしまいました。
その頃、家で待つ妻は夫の帰りが遅いので、途中まで迎えに行ったり家にもどったり何回も何回もくりかえしては首を長くして待っていました。
そんな所へ、夫がしょげた顔で帰って来ました。妻が早速奉公金をたずねてみると、遊郭で全て使い果たしてしまったと言えず
「帰る途中、蛇池まで来てみると、百メートルもある大蛇に奉公金を飲まれてしまった。」
と、蛇のせいにしてしまいました。
その噂を聞いた村びとは、これ以後自分に都合が悪くなると大蛇の仕業にするようになってしまいました。
すべての悪事をきせられた蛇は、百メートルもある巨大な体をどうすることも出来ず、池に尾を入れて椿の根を枕に横たわっているだけでした。
その姿を哀れんだ近くの寺の正純法師は、私の村びとへの説法が足りないため、純真な蛇を罪におとし入れてしまうのだろうと、蛇に十年間姿を隠し、村びとの心が入れ変わってから戻って来て下さいと頼みました。
歳月が経ち、蛇が元の場所に戻ってみると、十年前とまったく変わっておりませんでした。そこで、蛇は人々をうらみ何処となく姿を消してしまいました。後に土地の人は、その蛇の社を建て手を合せたということです。
(鈴木勝子・間中京子 記)