何百年も昔のこと、貧しい子沢山の百姓がいた。朝から晩遅くまで働いても楽にならず、借金取りが矢の催促をしてくる始末なので、夫婦は泣く泣く三人の娘を江戸に奉公に出すことにした。ところが、娘を江戸に送った帰り、父は持ちなれぬ大金に魔が差し、遊郭で使い切ってしまった。
妻の待ちわびていた家に戻るも、遊郭でお金を使ったとは言えず、夫は蛇池のところで大蛇に奉公金を飲まれてしまった、と蛇のせいにした。この噂を聞いた村の人々は、これ以降都合の悪いことは皆蛇池の大蛇のせいにするようになった。
百メートルにもなって、身動きも出来ない大蛇は、そうして悪事の濡れ衣を着せられても、ただ横たわっているだけだった。近くの寺の正純法師は、これを自分の説法が力不足でるためと嘆き、純真な大蛇を陥れるのは忍びないと、十年の間姿を隠すよう大蛇に頼んだ。
しかし、十年の歳月が経ち、蛇が元の場所に戻ってみても、人々は全く変わっていなかった。それで蛇は人々を恨み、どこかへ姿を消してしまったそうな。のちに人々はその蛇の社を建てて手を合わせたという。
境町には大字蛇池があり、香取神社の東の畑中に「大蛇伝説の池」の看板が立つ池がある。今はもうすっかり小さなものだが、そこがこの話の蛇池だ。弘化三年とある「蛇池大明神」の祠もあるそうな。
この池の大蛇の伝説には、千年の証文で騙されて印旛沼に去る蛇の話というのもある(「蛇池の大蛇・一」)。濡れ衣を着せられて去る蛇の話というのは極めて特異なものだが、千年の証文の話は各地によくあるものだ。
ただし、申し開きが難しいことがあった際(山で何かをなくしたとか、失敗して作物がダメになったとか)、大蛇にやられたんだと「いうことにする」という解決法は村々にあったようで、村の問題を穏便に片付ける手段のひとつではあったようだ。