蛇池の大蛇伝説と桓武天皇の子

原文

池には、十間(十八メートル)余りもある「蛇」が住んでいました。池の端には「ツバ木」が生い茂り物騒な所でありました。

八代将軍吉宗のころ、蛇は池の中からツバ木に向かって頭を持ち上げ、昼寝をしていました。

その姿を見た近くの寺の住職正進法印は、恐しい蛇をしばらく他の場所へ行ってもらおうと思い証文の代わりに、一升(一、八リットル)の米粒に一粒ずつ

「十年」

と、書いて、池の中に投げ入れました。

蛇は、米粒を見て約束通り印旛沼へひっ越して行きました。

十年後帰って来てみると、だれが書いたのか米粒は、

「十」

の上に

「ノ」

の字が加えられており約束が、

「千年」

に、変っていたのです。蛇は

「こう書いてあっては仕方がない……。」

と、思いまた印旛沼に帰って行きました。

村人が印旛沼に行くと、沼は荒れ狂いますが、村にはたたりもなく、静かな村となり「蛇池村」と名が付けられました。

又、昔この池の附近には桓武天皇の子「十王」と名の付く人が住んでいました。ある時、十王は西法院(現町立第二保育所附近)に二個の塩樽を埋めました。その後、塩樽でなく、大判、小判の樽であると語り伝えられています。

中村正巳 記

境読書会『母が子に語る 境の民話』
(境町教育委員会)より