だいだらぼうと片目のどじょう

原文

むかしむかし、瀬戸井村には「だいだらぼう」と村人がよぶ、大きな沼がありました。沼のまわりには、丈の長い葦がびっしりとおい茂っています。ふつう葦の葉は牛や馬のよいえさになるのですが、だいだらぼうの葦をたべさせると、きまって腹をこわしてしまうのでした。やがて手入れもされなくなった沼のまわりを、おとなの背丈ほどのびた葦が一面おおいつくしました。

さて、このだいだらぼうには、沼の主である大きな「片目のどじょう」が住んでおりました。もともとは両目をもっていましたが、今から百年ほど前、村の漁師にヤスで目をつかれ、あわれ片目となってしまったのです。片目のどじょうは、ふだん沼ぞこでじっと息をひそめておりますが、時折水面に舞いおりる水鳥をねらってうかびあがりました。一斗だるほどもある真っ赤な口を「ガバッ」とあけると、鳥たちをひと飲みにしました。たまたまそのありさまを見てしまった村人は、みなぞっとして一目散に逃げ去りました。

こうして片目のどじょうのうわさは、村中に知れわたり、いつしかだれもだいだらぼうには近づこうとしなくなりました。

そんなある年のことです。その年はひどい日照りが続きました。草木は枯れはて、やがてあちこちで疫病がひろがりはじめ、としよりや幼子はばたばたと病にたおれました。

そこで村人は、雨乞いの祈祷をとりおこなうことにいたしました。ただ、雨乞いのお祈りをささげるには、別雷神の清水とだいだらぼうの沼の水が必要でした。別雷神の清水はすぐに用意されましたが、日照り続きのだいだらぼうは、とっくに干上がって、水など一滴もありません。村人は頭をかかえてしまいました。

ところが、ある男がふいにこう言い出しました。

「死んだじっさまが言っとったが、どんな日照りでも、だいだらぼうだけは干上がらん。片目の主がおるからのー。」

その男のいう通りでした。干からびただいだらぼうに「ドカッ」と鍬を打ちこんだとたん、沼ぞこからコンコンと水がわきだしてきました。

すぐに沼の水はたるにつめられ、ご祈祷のおこなわれる社まではこばれました。

「さんげ、さんげ、ろっこんしょうじょう。」

神主がささげる祝詞にあわせて、村人も両手をあわせ、じっと祈りました。すると、にわかに空は暗くなり、ピカッという稲光まではしりはじめました。やがて雷鳴とともにあらわれた雨雲が、ぽつぽつと雨を降らしはじめたのです。

こうして村人を苦しめていた日照りもなくなり、だいだらぼうにも、またあおい水面があらわれました。そして時折、片目のどじょうもその大きな体をゆらりとうごかしては、深い沼の底に沈んでいきました。

それから長い年月がすぎました。だいだらぼうがあった場所には、見渡す限りの美しい田んぼが広がっています。沼はあとかたもなく消えさり、今となっては片目のどじょうを見つけることは、もうできなくなってしまいました。

平岡雅美『八千代の伝説と昔話 上』
(八千代町教育委員会)より