大蛇の頭骨と木槵子

茨城県結城郡八千代町

親鸞の東国行脚に伴った弟子のひとりに信楽(しんぎょう)がいた。もと武士の信楽は、下妻で親鸞に感化され、門弟となり出家すると、自分の家を弘徳寺としてしまった。

さて、昔下野の花見ヶ丘に大蛇が住み、村に危害を加えていた。大蛇は夫への激しい嫉妬心から大蛇となったという。困り果てた村人は、年に一度村の娘をいけにえに捧げていたが、ある年、神主の娘が籤にあたり、当時常陸にいた親鸞に助けが求められた。

親鸞は花見ヶ丘の蓮華寺に出向き、三部経を唱え、大蛇を鎮めた。やがて大蛇は眠るように息を引き取った。この時、親鸞に同道していたのが信楽で、信楽は供養のために大蛇の頭骨を弘徳寺に持ち帰ったという。今も秘宝としてこの頭骨はあるそうな。

また、弘徳寺の境内には、ゆかりの木槵子もある。親鸞が信楽との別れの際に、その数珠の玉のひとつを授けらたが、これを植えた所芽が出て育ったものという。今も七月に黄色い花を咲かせる木槵子があり、四代目のものだそうな。

平岡雅美『八千代の伝説と昔話 上』
(八千代町教育委員会)より要約