自性寺の白蛇

原文

北浦村(旧武田村)大字内宿に臨済宗の自性寺という古刹がある。寛文十一年(一六七一)に領主の皆川広隆が父の又七郎秀隆の遺志をついで建立した寺であるが、その昔大字次木の円通寺の隠居寺をここに移したといわれる。円通寺は曹洞宗だが一時荒廃し、この無住の荒はてた隠居寺を、自分の寺内に移し修理して庫裏に使っていたが、当時円通寺に片眼の住持がいてこの住持は自性寺の所為を心から憎み、

「ことわりなしに隠居寺を盗み去るとはあまりにひどい自性寺め、今に見ていろ……。」

と常に片眼を怒らして言っていた。そして住持は終に自性寺をののしり続けて遷化したがその後この住持の悪霊は白蛇と化して自性寺にまつわりつき、執念深く今に至っているという。

すなわち片目の白蛇は鐘楼の鐘の竜頭に巻きついたり、撞木にぶら下ったり、木堂の経机の上にとぐろを巻いていたり、あるいは、囲炉裏の自在鍵に下ったりするのを寺僧はたびたび見るのだった。

自性寺の僧は代々この白蛇になやまされてきたが、ある年のこと日暮になって裏門の扉を閉めに行った小僧が悲鳴をあげて庫裏へ逃げこんできたので、

「どうしたの……。」

と住職がきくと、

「門の扉を閉めても、すぐ開けるものがあるので、遠くから見ていたら、それは白い大蛇でした。」

と小僧はいった。

以来自性寺の裏門は扉をなくし、柱ばかりにして今にいたっているが、寺では執念深いこの白蛇のため、正門附近に池を掘り、ここに弁財天の一祠をたてて祀ったら、その後白蛇は姿を消した。それでも自性寺に参詣する人たちの中には、時に白蛇をみるものがあるというので、この話は、鹿島、行方の両郡では知らぬものはなく、片目僧の執念を今も恐れている。

最近では大正年間にその白蛇が現われたが、それをみたのは近藤さんという住職と、村に住む庭師の某の二人だった。本堂裏のもう宗竹を一本切りに行った庭師が最初に発見し、住職に知らせたので住職の近藤さんは馳けつけて白蛇をみると合掌し、経文を唱えた。すると白蛇はするすると落葉の下へ姿を消したという。

「自性寺の扉のない裏門を入るな……」

とか、

「自性寺に行くなら白蛇に注意しろよ……」

とか、附近の人たちが今もそれを気にしているのは事実だ。この気味悪い話は鹿行にまで広がって行った。

小沼忠夫『北浦の昔ばなし』
(筑波書林)より