自性寺の白蛇

茨城県行方市

北浦の内宿に自性寺という寺がある。寛文十一年に領主の皆川広隆が父の遺志を継いで建立したというが、次木にあった隠居寺の円通寺を移してきて庫裏に使ったそうな。

ところが、円通寺には片眼の住持がいて、自性寺の行いに怒り、罵り続けて遷化したが、その後この住持の悪霊が白蛇と化して自性寺まとわりつくようになったという。片眼の蛇は鐘に巻きついたり、撞木にぶら下がったりなどし、寺僧はたびたびこれを目にした。

ある時は、裏門を閉めに行った小僧が悲鳴をあげて庫裏へ逃げ込んで来、扉を閉めてもすぐ開けるものがあるので伺うと、白い大蛇であったといい、以来自性寺の裏門は扉をなくした。

寺は執念深いこの白蛇のために、正門付近に池を掘り、弁財天の祠を祀り、そしてようやく白蛇は姿を消した。この蛇のことは鹿行に広く知られ、自性寺に行くなら扉のない裏門を入るな、白蛇に注意しろ、といわれるようになった。

小沼忠夫『北浦の昔ばなし』
(筑波書林)より要約

自性寺は今も内宿にあり、市指定天然記念物のカヤの木などがある。創建にあたって次木村の円通寺を持ってきたというのは、円通寺末寺の正安寺が無住で荒れていたので移築した、ということだそうな。当時(寛文九年以降)は、新寺の創建が禁じられていたための措置であったという。

そういった実際の創建にまつわり、このような伝説があるのだという。片眼の僧は無住の寺に住み着いていたものであり、蛇となって末代まで祟るというのは筋が通るのかどうか微妙だが、ともあれ残念蛇となる、の一話ではある。