弁天様を田圃に遷す田植

茨城県行方市

手賀の鳥名木には、弁財天の社が台地の森の中にある。大昔、二目と見られぬ醜男の道祖神が、弁天さまに惚れ、あれこれ口説いても聞いてくれないので、ついに力づくで弁天さまを組み伏せようとした。

弁天さまは隙を見て逃げたが、道祖神は追いかけてくる。目の前は峰となり、もうこれまでと思ったところ、助けの神があって、弁天さまは蛇の姿に変わり、するすると峰の上に登って逃げおおせたという。峰を登れない道祖神は、それで麓にあるのだそうな。

ところが、このことがあってから鳥名木部落では、米が実らなくなってしまった。皆は弁天さまが台地に遷ってしまったからに相違ないと思い、田植えの時期にだけ弁天さまを田んぼに下すようにした。それで豊作が戻ったという。今では総植えあげという日に弁天さまを下す。早く終わる家も、少し植え残しておいて、一斉に植えあげをする。

堤一郎『玉造町の昔ばなし』
(筑波書林)より要約

しかし、多くある話なのだが、なぜこのような筋なのかというのは皆目分からない。弁天を固定する意味があるようではあるが、そうする必要というのも思い浮かばない。