七淵ヶ池(なぶつが池)には大鰻の主がいた。昔、小幡の平鬼茂王が通りかかると、池の向こうに大鰻が寝ていた。これが旅人を苦しめる主かと思った平鬼茂王は、鹿島様を念じながら強弓を射こみ、大鰻はのたうちまわって死んだ。
大鰻の首は山田塚本のうなぎ塚に祀り清められ、その肉は馬で七駄半もあったので、鰻坂で塩漬けにして売られた。それでその坂を塩漬坂ともいう。北浦の塩揚げの名は、このための塩を揚げたところといい、荷を運ぶ馬が疲れたので荷を軽くしてやったところをボタラ(荷を下ろす時の方言)と呼んでいる。
明治四十年ごろ、うなぎ塚が開墾され、出土したのは、鰻の骨ではなく、石枕、飾りの立花、直刀三振だった。伝説は古代の豪族の勢力争いの反映であったようである。