長者屋敷の娘

原文

昔米崎の塙に長者が住んでいた。長者には年頃の美しい一人の娘があった。

夜な夜な、娘のところに通いつめている男があると、どこからともなく噂が立った。長者は娘を居間に呼んで、噂が本当か、その男はどこの村の何という男かと問いつめたが、娘は顔を真っ赤にしてうつむいたまま、男の所も名前も知らないという。

長者が戸締りを厳重にして待っていると、どこから入ってくるのか、気がつかないうちに娘の部屋に忍んできて、明け方にこっそりと帰って行く。娘をいくら責めても埒があかないので、娘に「今夜忍んできたら、男に知られないように着物の裾に糸を縫いつけておけ」と言いふくめた。

夜の明けきらぬうちに娘の部屋を出ていった男は、着物の裾に縫い糸が付けられているとは知らない、糸はするすると引かれていく。長者は男に気づかないように、縫い糸のあとを辿っていった。三、四町も離れた三島神社の境内に入ると、男は神主の家とは反対の境内の隅にある御手洗の池の方に消えて行った。

長者はびっくりした。あの若者は三島の神さまが姿を変えて娘の部屋にきたのだろう。神さまだから忍んできても目に見えなかったのだろうと、土下座してしばらく顔をあげられなかった。

その後、娘はどうなったか、三島の神さまはひきつづいて忍んできていたか、さだかではない。長者屋敷といわれるところからは、今でも土器類が出るという。

大録義行『那珂の伝説 上』
(筑波書林)より