機織り石

原文

むかし、西塩子村(今の常陸大宮市西塩子)の、一軒の農家に美しい娘がいました。気立てもやさしく、働き者だったので、村の若者たちの間で大変評判になっていました。若者の中には、昼となく夜となく娘の家に遊びに来る者もあったので、両親は面白くありません。

「これでは仕事もできない。何かうまい工夫はないか。」と思案をめぐらしていました。

「村の若者たちが近づかないように、家の中で機織りをさせよう。」

両親は娘を家の中に閉じ込めてしまったのです。娘は閉めきった部屋の中で、ただ一人で機を織ることになりました。

村の若者たちがまたやってきました。しかし、娘の姿は見当たりません。

「今日は娘がいないぞ」

そう言って、若者たちは帰っていきました。邪魔になる若者たちが来ないので、両親は喜びました。誰もこないので、せっせと働くことができたからです。

こうして何日か過ぎると、とうとう若者たちに娘のいることが分かってしまいました。家の中から「カチャン、カチャン」と機を織る音が聞こえたのです。

「娘は家の中で機織りをしている。」このうわさは、たちまち若者たちの間に広まってしまいました。それからというもの、若者たちは家の中まで入ってきたのです。両親がいるとコソコソと帰っていくのですが、いないと部屋の中まで入り込み、いつまでたっても帰りません。

両親は、また心配になりました。「どうにも困ったもんだ。」毎日、両親はこのことだけを話し合っていました。

ある日、父親がこう言い出したのです。「石倉があればいいな。石倉の中で機織りをさせとけば、誰も近づけねえからな。」

しかし、石倉を作るのは大変お金のかかることで、簡単に出来ることではありません。両親は、それからというもの、石倉のことで頭が一杯でした。「石倉が欲しい。石倉が欲しい。」両親は、口ぐせのように石倉を欲しがりました。村の鎮守さまにお参りして「神さま、石倉を作ってくだせえ。」とお祈りもしました。

ある日、両親が家から少し離れた畑で仕事をしていたときのことです。いままで晴れていたのに、急にあたりが暗くなりました。「不思議な天気だ。」と思っていたとき、いなづまが光りました。そして、わが家の方角で、それはそれは大きな雷が鳴ったのです。

「あの音は家の方角だ。何かあったんじゃねえか。」両親は慌ててわが家に向かって駆けつけました。すると、どうでしょうか。家がなくなっていたのです。家のあったところには何も見当たりません。娘の姿も見えないので、夢中になって娘の名を呼びました。しかし、何の返事もないのです。

探し歩いていると、家の前の田んぼの中に大きな石が見つかりました。それは今まで見たことのない石でした。不思議に思ってその石のそばまでいくと、何と、機織りの音がかすかに聞こえてくるのです。石にとりすがって耳を当てると、その音は石の中から聞こえてくるではありませんか。

娘は石の中に閉じ込められてしまったのです。娘の幸福も考えず、「石倉が欲しい。」と、無理なお願いをしたおかげで、娘は石の中で機織りをするようになってしまったのです。

西塩子の田んぼの中に、いまでもこの大きな石があります。この石の下をチョロチョロと水が流れているので、石に耳をあてて聞くと、機を織っているような音が聞こえてきます。そのため村人は、この石を「機織り石」と呼ぶようになったということです。

大宮町教育委員会『大宮町の民話』より