機織り石

茨城県常陸大宮市

昔、西塩子村のある農家に美しい娘がいた。優しく働きものだったので、村の若者たちの評判で、昼となく夜となく遊びに来る者もいた。両親はこれが面白くなく、娘を家の中に閉じ込め機織りをさせるようになった。しかし、何日かすると娘がいるのも知れ、家の中まで若者たちがやってくるようになってしまった。

両親はまた心配になり、石倉があれば、その中で機織りをさせ、若者たちも近付けないのに、と思ったが、そんなお金はない。そこで村の鎮守様に石倉がほしい、石倉がほしいと願をかけるほどであった。

そんなある日。両親が畑仕事をしていると、急に暗くなり、稲妻が走ると、わが家の方角に大きな雷が鳴った。両親はあわてて戻ったが、家は影も形もなくなり、娘の姿も見当たらないのだった。そして、あたりに娘を探し回ると、そこには見たこともない大石があるのだった。

大石に耳を当てると、中から機を織る音が聞こえる。両親が娘の幸せも考えず石倉がほしいと無理な願いをしたせいで、娘は石の中で機織りをするようになってしまったのだった。今も西塩子の田の中に大石はあり、機織り石と呼ばれている。

大宮町教育委員会『大宮町の民話』より要約

機織り岩の伝説は各所にあるが、そもそも機織り姫が一夜の神を待つ姫であったこと、いずれそれは神の嫁になってしまうのだということ、という面を考えるに、大変示唆的な事例といえる。殊に、村の若い衆が押し寄せるさまが執拗に語られる点はそうだろう。瓜姫子に近いともいえる。