むかし、新原(麻生町)の黒駒池と赤須(牛堀町)の大膳池に、それぞれ大蛇が住んでいた。
この大蛇は夫婦だったらしく、二つの池を往ったり来たりしていたらしい。
雨あがりの朝など、うねうねと稲や草が倒れ伏していて、田圃の見回りや草刈りに来た人びとをギョッと立ち止まらせることもたびたびであった。
当時の大膳池は老杉巨松が天も暗くそびえ立ち、まわりには丈をかくすほどの篠竹がビッシリと生い茂って人を寄せつけなかった。日中わずかに池の真中にポツンと陽が射す状態であった。
芝宿(牛堀町上戸)と牛堀(牛堀町牛堀)とに一軒ずつの髪床があった。
ある日、芝宿の髪床の主人がこの大膳池に釣りに行った。下草を踏みしき、笹やぶを分け入って池のほとりに腰を下し、釣り糸を垂らすやいなや魚がかかり、そのあとも釣れるわ、釣れるわ、どうにもやりようがないほどよく釣れた。よく「釣師の深欲」といい、釣れれば釣れるほどあとをひき、日が暮れるのにも気がつかず、浮子が見えなくなるまで、夢中で釣り続けていた。やっと重い魚籠をかついで家に帰りついた時には、あたりは真暗になっていた。
男は夕飯もそこそこに、相棒の牛堀の髪床にとんで行き、今日のことを自慢気に一部始終を語って聞かせたということだ。
男は
「それゃァすげえャ、あした俺ばつれてってくれ」
といって翌日二人は連れだって大膳池に出かけたが、あにはからんや、ひねもす池をにらんでいたが、浮子はピクリとも動かない。
「オイッ、どうしたんだおめえ、昨日の話はほんとだったんか? 信じらんねエ、俺ばかついだんじゃねえか?」
「イヤッ昨日はほんとに釣れたんだ、ウソじゃねエ」と言いながら、釣れないものは仕方がないと、帰り支度を始めた。すると突然、物すごい音とともに、池の中央が大きく盛りあがって来た。と大蛇が水面の上にあらわれた。口からは青白い炎を吹き、真赤な眼をらんらんとかがやかせながら、稲光りのような光を放ち「クワッ」と二人をにらみつけた。
その光に眼のくらんだ二人は血の気もうせて、命からがら逃げ帰ったが、芝宿の男はその晩高い熱を出し、うわごとを言いながら死んでしまった。
牛堀の男も、その後ブラブラ病にかかって一年あまりして、やはりあの世へ行ってしまった。
この話は、近所の年寄りから聞いた話だが、代々語りつがれているもので、百数十年経ていると思われる。
今では、下土堤の改築をみたが、一人などではとうてい行きたくない場所である。
(注)池は上、中、下の三つの池からなり、大蛇の話は、一番大きい下池のことであろうといわれていた。