佐白山の大蛇退治

原文

笠間時朝が築いた笠間城は、山城として天下の名城に数えられた。要害堅固であるとともに、奇聞も多く残されている。

江戸時代はじめ浅野氏が笠間を領していたころ、その天守櫓のあたりに、大うわばみが出没して人びとに害をあたえるといううわさがたち、浅野家家中で大きなさわぎとなった。軽部弥次郎という勇者は、この大うわばみを退治したいと思い、殿様の許しを受けた。弥次郎は、鉄砲をたずさえて、昼となく夜となく天守のあたりを見はっていた。このあたりは山がけわしく、谷は深く、巨木がうっそうと繁っていて昼も暗いほどさびしいところであった。

ある日、弥次郎が天守の塀の外にたたずんでいたところ、ぞーっと冷たいものが、脊すじを走った。見ると塀の上から、馬の首三つも合せたように思われる大蛇が、鎌首をもたげ、眼をむきだし、口を開いて、長い舌をペロペロと出し、火を噴くようにも見えた。弥次郎は、すかさず鉄砲をとりだし、ねらいをさだめて、ズドンと一発をはなった。すると、ものすごい地ひびきとともに、大蛇は、忽然と姿を消して、その後全くゆくえがわからなくなった。

後の時代、井上氏が領主となったころ、天守櫓のもとが崩れ落ちたことがあった。修理するために掘って見ると、そこに大きな蛇の骨が山のように出てきた。人々は、これはまさしく浅野の家臣軽部弥次郎の射止めた大うわばみの骨であろうと、大評判になったといわれている。

笠間文化財愛護協会『笠間市の昔ばなし』
(筑波書林)より