むかし、鹿島明神は七会村徳蔵の引布山に八瓶の水をもらいたいと申し出た。明神はどうにか五つの瓶の水はもらい受けることができたが、残りの三つの瓶はどうしても動かすことができなかった。しかたなく、三つの瓶は飯田の地に置いたまま帰っていった。この三つの瓶をまつったのが、三瓶神社であるといわれている。
三つの瓶については次の伝説もある。
朝房山の蛇の話の中に出てくる努賀比咩が蛇に投げつけたカメは、この神社にまつられている三つの瓶であるともいい伝えられている。
この瓶の中の水は、どんなに年がたっても同じ量あるが、何かわざわいがある前には必ず色が変わったり、また、この水を人の頭に注ぐと、悪い病気にかからないともいい伝えられている。(『聚成笠間誌』から)
飯田に三瓶神社は今もあり、社殿横には三つの瓶が埋められてある。引布山とは徳蔵の徳蔵寺の山号で、寺では弘法大師が八瓶山に八つの瓶を置いて雨乞いをしたというが、一方、大蛇討伐の話もある(「徳蔵姫」)。
飯田は朝房山(風土記の哺時臥山とされる)の西麓ということもあってみれば、後段のような話にもなる(そちらの話と連絡させるのはまた)。しかし、この二者に限らず鹿島からは瓶の話があちこちにあり、万端併せ見るときにも大いに重要となるだろう。