稲田姫と茶だち 茨城県笠間市 稲田姫は、稲田の地にお住まいになっておられた。ある日、蛇に襲われて逃げる時、茶の根株につまずいて転び、そのひょうしに松の葉で目を痛められてしまった。それからは、稲田の人々は茶の木や松の木を嫌って植えないようになったという。 今でも稲田神社はもちろん、信仰する人たちの中には、茶を飲まず、松の木を植えない家がある。(昭和四十五年、稲田小六年長本武比古の採話。四十六年、稲田小三年金沢光子・米川早苗・鈴木厚美共同採話) 笠間文化財愛護協会『笠間市の昔ばなし』(筑波書林)より 稲田姫が倒したのは「大蛇(おろち)」という名の盗賊であった、などともいうのだが(「稲田姫の大蛇退治」)、やはり「ヘビ」のほうとも縁が深く語られる。 竜蛇に供される姫の話には、竜蛇神に仕えていた巫女のイメージがまま重なるのだが、そういった面からみても、この禁忌は興味深いだろう。ことに、関係が深い八瓶山のほうの「徳蔵姫」伝説と併せ見ると、よりその感は強くなる。片目の姫とは神に仕える巫女の姿に他ならない。もとよりそういった存在ではなかったかといわれる奇稻田姫であり、やはり、というところか。 出雲と(というより記紀の出雲神話と)より密接な関係のある奇稻田姫之命の社で姫を片目だという事例があるのかどうか知らないが(武州氷川系に見られる「片目の女体様」など)、常州においてはそうであるに違いない、と捉えられたのだろう。 ツイート