きもなし弁天

茨城県笠間市

稲田の大古山付近に、高坂城があり、殿様には七人の子どもがいたが、そのうちの一人の娘が白っ子であった。殿様が不憫に思い、占い師に占わせたところ、十九になる娘の生き肝を飲ませれば治る、と言われた。そして殿様は、家臣の一人に、これを取ってくるように命じた。

家臣の侍は殿の命ということでいたしかたなく、腰元の中から十九の娘を探し、山中に誘い出すと提灯を消し、酒を飲ませて酔わせ、生き肝を取った。それで、「ちょうちん消し」「酒飲み台」という地名がある。

白っ子の娘に飲ませると、たちまちに治り、娘は絶世の美人となり、家臣は沢山の褒美を賜った。ところが、それから後は、殿様は毎晩腰元の娘の亡霊に悩まされるようになり、生き肝を抜いた家臣のほうも気が狂ってしまった。腰元たちの間にも病が絶えなくなり、祟りとされた。

そこで、殿様は殺された娘を弔うお堂を造り、弁天と祀り、その後の祟りを避けることができたという。今も大古山の川のほとりに高坂ぜきというところがあり、近くに「きもなし弁天」が祀られている。

笠間文化財愛護協会『笠間市の昔ばなし』
(筑波書林)より要約

話の弁天さんをはじめ、高坂城、大古山も不明。笠間市大古山は旧友部町内にあるが、稲田とあるので違うのだろう。もっとも、殿様の七人の子供、というあたり、伝説というより昔話にまとまっている感が強い。

そもそも、こういった話は、通例犠牲となる娘を斬ったが、そのような娘はおらず(あるいは生きており)、守本尊にその斬り傷がついていた、などとなる「身代わり○○」の話型である。

出島のほうには、同じような理由で殺され生き血を取られた召使が、生きて里から帰って来、あみださまに刀傷があった、などという話もある。稲田の話の場合は、弁天さんに肝を抜いたような傷が付いていたので、身代わり弁天・きもなし弁天と呼ばれるようになった、という幕が自然だ。

これが、肝を抜かれた娘を弁天と祀った、というのは珍しい話の展開といえる。しかし、この話の筋では弁天である必然性に乏しく、そこに何かあるのかもしれない。白子という聖痕を持つ娘、と捉えれば、それは弁天の申し子にふさわしい。どこかにねじれがある話のように思う。