道場淵

原文

笠間市を流れる涸沼川に「道場淵」(または道場が淵)と呼ばれるところがあります(旧友部町)。

むかし、この淵の近くに新善光寺というお寺があり、その信者の修養のための道場となっていたことから、その名がついたといわれています。

この淵が、竜宮に続いていると信じられていたころの話です。村人たちが祝い事など特別な日のためにたくさんのお椀やお膳が必要になった時、借りたい物や数を紙に書いて淵に投げ込むと、希望通りのものが浮いて出たのです。その頃、客用のお膳やお椀を持っている家はほとんどありませんでした。村人たちは、結婚式や葬式などのたびに借りては、感謝のことばを述べてきちんと淵に返しておりました。

ところが、ある時、お椀十個を借りた者がそのうちの一個をこわしてしまい、九個しか返さなかったのです。それ以来、誰がお願いしても、淵にはお椀やお膳が浮いて出ることはなかったということです。

 

また、この淵には、親鸞聖人にまつわる話も残されています。

川が大きく蛇行してできた道場淵は水が淀んで深く、大きな石も多かったため、かつては舟の事故や洪水がたびたび起こる場所でした。

むかし、同じ場所で何度も洪水が起きるのは、淵に棲んでいる大蛇が暴れるためで、道場淵近辺にも大蛇がいるのだといわれておりました。

その話を耳にした親鸞聖人は、ある時、大蛇済度のため道場淵を訪れました。大蛇が暴れるのは、おのれが大蛇に生まれた身を嘆き苦しんでいるからである。その苦しみを取り除き、大蛇を救ってやろうとお考えになったのです。

親鸞聖人が淵に向かって呪文を唱え始めると、やがて、大蛇が死んで水面に浮かび上がってきたのです。親鸞聖人は大蛇をねんごろに葬ると同時に、二万字を超える経典の文字を一つの石に一字ずつ書いて一緒に埋め、塚を築いたということです。

石岡市大増にも「人喰橋」・「蛇塚」など、同じような大蛇済度に関する言い伝えが残されています。

 

参考資料

「茨城の伝説」(今瀬文也・武田静澄共著)

「茨城と親鸞」(今井雅晴著)

「友部町史」(友部町)

朝日新聞茨城版『いばらきの昔ばなし』より