洞窟で機を織る姫

原文

北茨城市の五浦は、近代美術の先駆者・岡倉天心が居をかまえ、活動拠点としたことでも知られています。

 

茨城県天心記念五浦美術館から五浦岬公園までの間に、北から端磯・中磯・椿磯・大五浦・小五浦と五つの浦(入り江)が続いています。五浦の名はこの地形に由来するといわれます。太平洋の荒波に削られた断崖絶壁と松の緑が美しい景勝地です。

崖には海食(蝕)によりできた無数の洞穴がありますが、今回は椿磯の「チャンポン」という洞穴にまつわる話を紹介します。

かつて、この洞窟はかなり奥が深く、満潮時に海水が流れ込むと、洞内に反響してチャンポン、チャンポンと聞こえることからこの名がついたといわれています。また、鼓を打つ音にも似ているので鐘鼓洞とも呼ばれています。

むかし、大津の浜に伍助という漁師がおりました。時化続きで漁に出られないので、ある夜、釣り竿をかついで足の向くまま歩いていると、いつしか五浦まで来ておりました。

そのとき、どこからともなく、チャンポン、チャンポンというかすかな音が聞こえてきたのです。伍助は音のする洞穴の中に入っていきました。

すると、驚いたことに、美しい姫君が侍女を相手に機を織っているではありませんか。息をのんで立ちつくす伍助を姫は奥に招き入れ、お酒やごちそうで丁重にもてなしてくれました。

そして姫は、「くれぐれも、このことは誰にも話さないでください。」と伍助に心からお願いし、帰りには珊瑚の玉のお土産まで持たせました。

にもかかわらず、伍助は黙っていることができず、つい友だちに話をしてしまったのです。

友だちがその話が本当かどうか確かめたいというので、二人で再び洞穴へ出かけていきました。ところが、中に入ったとたん、突然ガラガラと洞穴が崩れ落ち、二人は岩石の下敷きになって、とうとう帰らぬ人となってしまったのだそうです。

 

参考資料

「茨城の伝説」(今瀬文也・武田静澄共著)

「大津町の民話」(北茨城民俗学会)

「角川日本地名大辞典 茨城県」(角川書店)

朝日新聞茨城版『いばらきの昔ばなし』より