北茨城市華川町花園にある「花園神社」、そこから奥の院を目指して花園渓谷を登っていくと、「七ツ滝」があります。
七ツ滝はその名のとおり、一ノ滝から七ノ滝まで七段にわたって流れ落ちています。
その中でも四ノ滝の滝壺は特に深く、竜宮に通じているとか、磯原の天妃山沖の亀磯に通じているともいわれ、そのため、滝壺にはアワビが生息していて、それが花園神社のご神体であると信じられておりました。
ある時、徳川光圀がこの話を耳にして大変興味を持ち、滝壺の水底を確かめようと訪れました。
光圀に命じられた家来が滝壺の奥深く潜っていくと、そこには人をも飲み込みそうな大きなアワビが行く手をふさいでいたのです。
命からがら逃げ戻った家来の話を聞いた光圀は、それ以上の探索をあきらめたということです。
花園神社は、征夷大将軍・坂上田村麻呂が奥州遠征の折に創建したと伝えられていますが、花園神社の縁起については次のような話も残っています。
むかし、ある所に七人の兄弟姉妹の神様がおりました。その中の姉神と妹神が、自分たちが住むのにふさわしい神聖な地を探し求め、花園川に沿って腰越峠までやってきました。
その時、姉神がたいそう疲れた様子なので、妹神は姉神をそこに休ませて、さらに山の奥へと入っていきました。
姉神は妹神の帰りを首を長くして待っていましたが、花園に最適の地を見つけた妹神は、姉神を迎えに行くのをすっかり忘れてしまったのです。
この妹神を祀ったのが花園神社で、姉神を祀った所が仲坪の王子神社といわれます。それから後、仲坪あたりでは、姉神の「待つほどつらいものはない」という思いを汲み、松を植えなくなったのだそうです。
ちなみに、現在、花園神社の祭神は女神ではなく、大物主神・大山祗神・大山咋神という神様が祀られています。
参考資料
「茨城の伝説」(今瀬文也・武田静澄共著)
「おなばけ・はなぞの・いりしけん」(関英馬著)
「常陽藝文 一九九一/十月号」(財団法人常陽藝文センター)
「茨城県神社誌」(茨城県神社庁)
「日本の神々の事典」(薗田稔・茂木栄監修)