石岡の龍神山には、村上に雄竜がおり、染谷に雌竜がいたという。雌竜は月のきれいな夜になると、東南麓の柏原池まで下りてきて、美しい娘の姿となり散策をした。この娘の噂が府中に広がり、城中の若侍の一人が、その噂を確かめに来た。
そして若侍は、娘を見るなりすっかり心を奪われ、それから毎晩のように池に通い詰めるようになった。しかし、その幸せも長くは続かず、ある夜、若侍は池に落ちて死んでしまった。雌竜はこれを悲しみ、二度と柏原池には来なくなったという。
また、龍神山には茨城童子という鬼が住んでいたという話もある。夜になると里に下りて、人を腰の大きな巾着袋に入れて攫ったというが、腕の立つ武将が退治に来ると聞いて、龍神山から姿を消したという。その時投げ捨てた巾着袋が万福寺の西の畑にめり込んだといい、その留め具が残ったという「きんちゃく石」がある。
柏原池は今もあり、この伝説はよく知られるが、池の弁天さんが、この若侍を弔ってできたものだとも、その弁天のまわりをけんけんで三回まわると竜が出るなどともいう(今泉義文『石岡の伝説』)。今は池近くに弁天というのは見えなかったが。
若侍と竜女の逢瀬のシーンは、まま若侍の吹く笛が朗々と流れる場面としても描かれ、真壁の小栗で語られる小栗判官と竜女の話(「うわばみ池」)と似た感じともなる。
また、この話の流れは、琵琶法師と竜に見られるような、一帯を泥濘と化すと宣言する竜女を封じる話となるものなのだが(「精進ヶ池」など)、そちらへ向かわず若侍の死で幕となっているのは不自然ではある(死ぬ必然がない)。
ところで、話変わって、龍神山の茨城童子のことが語られているが、今はさておく。無論、大江山の茨木童子伝説ありきの話ではある。しかし、周辺には鬼・巨人が国栖以来のまつろわぬ者を意味し、まま竜蛇伝説が同じ場所に語られる、という傾向があり、大江山の常州版、というだけでは片付かないところもある。