雷様の箱宮

原文

昔むかし、黒磯村の賀茂神社に雨を降らせる箱宮がお祀りしてありました。日照りがつづいて雨が降らず困っている時には、コイド橋の所で、箱宮を台にのせて、「ドンドコ ドンドコ ドンスカ ドン」と太鼓をたたいて、踊りを踊って、雨乞いをやっていました。

その時は、隣村の人たちも一緒になって、「ドンドコ ドントコ ドンスカドン」「ドンカタ ドンカタ

ドンドコ ドン」とやりました。

その太鼓の音のおもしろいこと、踊りの楽しいこと、雷様も浮かれて、「ドンドコ ドン」としました。

そうすると、雨がサラサラ降るのでした。

でも箱宮のふたは決してあけてはいけないことになっていました。

ところで、おらの村は黒磯村からは遠いんです。

おらの、おとっつぁまとおっかさまは、お天道さんが顔を出すころには、野良へ出て、一番星が出るまで働いていました。米も麦も野菜も、食べる物はみんな、おとっつぁまとおっかさまが作ってくれます。

「雨がサラサラちょうどに降って、お日さまがポカポカやさしい光、それがかなえば、百姓は最高だ」って、おとっつぁまは言っていました。

今年は雨がほとんど降らないんです。少しずつ、川の水が減っていって、田んぼにはひび割れができました。

村の人たちは「困ったなあ。畑の土がかわいてしまって、野菜がちっとも育たねえ」といいました。

おとっつぁまは「そうよなあ。ひと雨サーッとほしいとこだ」といい、空を見上げてため息をついていました。

村の人たちは「あれっ。雲が」といい、おとっつぁまは「雨雲だっぺか」といい、村人は「雨ごいやっぺ」ということになりました。

太鼓の合図を聞いて、村中の男たちが、お稲荷さんにあつまりました。

みんなで、手早く、麦わらを束ねて、縛って、榊の枝を刺して、おみこしを造りました。雨が降るように願いながら、神主に拝んでもらいました。

村人は「雲が逃げねえうちだ。いくぞ」といいました。

村の雨乞いのはじまりでした。

「わっしょい。わっしょい。わっしょい。」と田んぼの道、畑の道、村中を声をはりあげて、おみこしをもんで、歩きました。

雨乞いは夜通し何日もつづきました。けれど、畑の野菜はしおれ、食いものに困るほどになっても、雨は、とうとう一つぶも、落ちてはきませんでした。おみこしの竹がすれて、おとっつぁまらの肩は真っ赤にはれました。足もガクガク、みんなフラフラでした。そのうち、また夜が来て、

「黒磯村には、雷様の箱宮って、雨を降らせる箱宮があんだって。それが、おれらの村のもんだったらよいのに」と誰かがぽつり、つぶやきました。

「雷様だってえ、それ、ほんとけ」

「おれらの村にもほしいなあ」

「持ってくっぺよ」

「そうすっか」

「そうだな。そうすっぺ」

一人、二人、三人、四人、そろり、そろりと月あかりの山ん中へ、入っていきました。

「これが、雷様の箱宮か。どうやって拝めばいいんだっぺ」

「そうよなあ」

「雷様どうぞお願いです。どうやって拝めばいいんだろう」

「そうだよなあ」

「雷様、どうぞお願いです。雨を降らしてください」

雷様の箱宮をお祭りしてみたものの、どうすれば雨が降ってくるのか、誰もわかりませんでした。

「なんとか、やってみよう」

「ところで、箱宮の中には何が入ってんだっぺ」

「呪文書いた巻き物でも入ってないかな」

「あけてみるか」

「雷様が入ってたら大変だ。封印をといてはならないぞ」

みんなして、よってたかって、箱宮を、いじくっているうちに、箱宮のフタがはずれてしまいました。

箱宮の中から、いなびかりがリュウのように空へかけあがっていきました。

たちまちのうちに、空が真っ暗になって、雷様は、「ピカピカ ドンドコ ピカピカ ドンドコ」といいました。

そして、雨がザンザカ、川みたいに降ってきました。田んぼは、見る間に海のようになっていきました。

あれほど、待ちつづけた雨は、大嵐となって、村をおそってきました。

雨はようしゃなく地べたをたたきつけ、しおれた作物は、そのかぼそい根っこごと、どっかへ流されていきました。

いなびかりは、天をつらぬく柱のように太く、あっちこっちの木をまっぷたつに、切りさいて、あばれまわりました。

「天罰だぞ」

「どうすっぺ」

「とにかく、この箱宮を加茂神社にもどすべ」

知らせを聞いた年寄りたちが、加茂神社に集まって、雷様の箱宮を囲んで、念仏を唱えました。

「光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨(コウミョウヘンジョウジュッポウセーカイネンブツシュウジョウセッシューフーシャ)」

声を合わせて、繰り返し、繰り返し祈りました。祈りが天に届いたんだろうね。百回も唱えた頃には、川みたいに降っていた雨があがったんです。

「ねえ、きれいな虹だね。水たまりにもかかっちゃった。おら雷様おっかなかったよ。本当に、おとっつぁまの言うとおり、ちょうどに、雨が降るっていうのは、むずかしいんだんね。おっかさまは、「もう一回、種まきからやり直しだなあ」って、笑いながら、野良仕事に出かけたよ。おらも行って、手伝ってくっぺ」

「でも、雷様の箱宮は、その後も何度か、さらわれたり、戻されたりしたんだ。お年寄りたちが唱えた念仏は、いつの頃からか、五か村念仏に呼ばれるようになって、今でもつづいているんだよ」

五か村というのは、黒磯・牛伏・田島・三野輪・大足のことです。今は、昔のように、日照りや嵐で食物がなくなって、苦しむようなことはなくなりました。本当に、いいことですよ。ねっ。

内原町史編さん委員会
『内原町史資料第3集 うちはらの昔語り』より