貧乏なひとり暮らしの若者のところへ、美しい女が訪ねて来て夫婦となった。妻が妊娠したので、若者は妻に何か食べさせようと町へ買い物へ行ったが、帰ってみると妻の姿が見えない。具合が悪いのかと寝室を覗くと、そこには大蛇と赤子の姿があった。
それから妻は出てきたが、若者の顔色を見て正体を知られたと悟り、子を庄屋さんに頼んで育ててもらうよう言い残して去った。そして引き受けてくれた相や夫婦のおかげで子は育ったが、六歳になった時、風邪をひいて死にそうになってしまった。
妻に最悪の時にはせんがんじの堤で「おちよ」と三回呼べ、と言われていた若者は、そのようにし、現れた妻から薬をもらって子の風邪を治した。ところが、今度はその風邪が庄屋さんに移り、庄屋が重体となってしまった。
若者はもう一度薬をもらいに行ったが、おちよはこの薬は自分の目玉であり、この恩人の庄屋のために渡すが、これでもうどんなことがあっても自分はこの世にいないから、と言って水中に沈んだ。蛇の目の玉で庄屋の風邪も治り、事情を聞いた庄屋は堤の土手に「おちよ蛇類明神」と書いた石碑を建てた。
小宮で採取された話とあるが、小宮は未だ原発事故により居住制限区域となっている。話の舞台に名の出る「せんがんじの堤」などがどこであるのかは不明。実はこの話、福島市飯野に移った飯舘中学校の子どもらがアニメーションとして昨年公開しているのだが、そこでは山奥の岩堤(滝壺のように描かれる)となっていた。
ともあれ、大筋では目玉を与える蛇女房の話ではあるのだが、「庄屋」が重要な役割を果たしているらしいところが特異な事例といえる。なぜおちよは庄屋に子育てを頼むよういったのか、蛇女房の目玉の効験を庄屋が受けるのはどういった意味か、など解釈が難しい。
蛇女房の目玉は、子を育てる以外にも使われることがあるが(「蛇女房」など)、それでも家族の範囲が良いところだろう。アニメーションのほうでは、庄屋の妻が同じ時期に子を産んでいて乳が出たので、それで子を育ててくれた、ということになっている点は要注目だろうか。
ひとつ考えられるのは、そもそも土地の長(庄屋)が祀っていた蛇類明神が先にあった、という可能性だが、現状はよくわからない。しかし、いずれにせよ蛇類明神が実在するのならば、蛇女房が祀られてあったという稀有な事例になると思われる。