水神沼の大蛇

原文

磯浜に水神沼(日陰沼とも言う)というおっきな沼があっぺ。

あの水神沼と菅沢の沼は地中の隧道で繋がっているんだと。

昔々、水神沼には大蛇がすんで居たんだと。

春のお彼岸になると隧道を通って、菅沢の沼に行き、菅沢の沼から鹿狼山を通って空高く舞い上がり、龍となって雷を起こし、雨を降らせて稲を育ててくれるんだと。

秋の彼岸になると今度は地上に戻って、鹿狼山から菅沢の沼を通って、再び水神沼に戻り水底深く潜って冬越しをするんだったと。

ある年の土用の暑い日。大森山から三十匹あまりの猿達、暑さに耐えかねて水神沼に水浴びに出かけたと。皆して水を浴びたり、松の木に上ったりして遊んでいたったと。

ところが運悪く水神沼の大蛇もまた、暑さしのぎに松の木の上で昼寝をしていたったと。あたりがキャッキャ、キャッキャとうるさいもんだから目を覚まして見たれば、大勢の猿達が水浴びをしながら騒いでいるんだと。

「せづねごだ。せっかく昼寝をしていたのに邪魔されてしまった」

怒った大蛇はそばにいた子猿を三匹捕まえて一飲みしちまった。今度はそれを見ていた親猿たちが騒ぎ出したと。

「よくもおら家の子ざるを喰い殺したな」

「おら家の子ざるを返せ」

「返せ、返せ!子供を返せ!」

我子を殺された親猿たち、ごしゃいで、わが命も顧みずに、大蛇に飛びついたと。

ところが、相手は大蛇だもの、猿なんぞ相手にもならねがった。一匹では負けてしまうと思った猿達、皆で一塊になって蛇と戦ったと。さしもの大蛇も多勢に無勢。想像を絶する死闘が繰り広げられたと。蛇の喉元には『逆鱗』という逆さについた鱗があるんだと。一匹の猿が逆鱗に噛み付いたと。とたんに、空は一転して掻き曇り、雷鳴がとどろき、天地が傾くほどの大雨が降ってきたと。稲光がしたと思ったら、どどど〜んという大きな音とともに雷が落ちて、大蛇も猿達も雷に打たれて死んでしまったと。

沼は大蛇と猿の血で真っ赤に染まり、浜まで流れ下ったと。それでこの川を『赤川』と呼ぶようになったと。大蛇の死骸は浜の方まで流されたと。

たたりを恐れて浜の人たちが供養して祀ったのが今『蛇塚』と呼ばれている所なんだと。

(蛇塚の石碑の写真・大蛇大善神、とある)

新地語ってみっ会『新地の昔話』
(新日本文芸協会)より