義家伝説

原文

ここは大きな湖で、ここがもと常豊村ったん。向こう側が笹原村ったんだ。その常豊村、笹原村にまたがって、この辺一帯が湖だった。山がせまって道路と川ほかねえんだ。あそこは、もと、山と平で、棚倉際の路線から水が流れ出してあった。今、水抜き沢っちゅうんだ。堀越、堀越。湖だから、そこの平を通って久慈川さ流れてった。

その頃、この湖に大きな竜が住んでいて、ほして、部落を悩ませている。ほんで一番、何の源だか、源八ってゆう人かな? 源八、源八、源八っていう人が遭難したんだな。それを八幡太郎義家が、もと笹原村の湯船っていうところにある弓張堂ってとこあんのよ。弓張堂。そういう地名がある。その石に上って、矢を射る構えをしたっつうのが、今、その石に八幡太郎の足跡がある。弓張堂から射ったんだな。一番深いところへ。蛇頭(じゃがしら)っていうな、蛇の頭。蛇頭めがけて千本の矢を撃ったんだな、千本。ほで、その近所に常世北野(とこよきたの)、常世北野字千本っちゅう行政名の字があんだ。千本は、そこ、そばに落ちたとな。ほして、千一本めの矢が、その先に行って蛇頭に当たり、その蛇に当たった。千一本め。そして、その竜が撃たれたから、四苦八苦しつう、この赤岡を赤く染めちゃって、奥地へ奥地へと行って、そして龍ヶ沢っていうところで死んだんだな。龍ヶ沢っちゅうのは、この奥地にあんだ。ほって、その蛇に食わっちゃ源八っていう人も、その手前の方で死んだんだ。今、そこに龍沢寺っていうお寺あんだ。源八山龍沢寺。源八山龍沢寺ってゆうお寺。今も立派な伽藍があんだ。向こう側に赤坂っていうは、そこも赤い血潮に染まったんだな。

○西河内字赤岡 小松武雄

 

ここに、何ちゅ言おう、八幡太郎義家が、どういうあれだったか、ま、ここに征伐に来た折りに、ここの湖で舟遊びをしてるうちに、その舟が動かなくなっちゃったんですって。そんで、まぁ、昔のことだもんだから、

「これはどうも何事かある」

と言うので、みんなで手拭いを、手拭いだか何だか持ってる物を湖へひたしたんだって。そうしたらば、家来のね、伏見源八郎という人の持ち物が、その湖へ、水の中へ引き込まれちゃったんだって。ところが今度、

「引き込まれちゃった。これは確かに魔物がいるんだ」

と言うので、伏見源八っていう侍が湖に飛び込んで、退治をすべく行ったんだけんども、とうとう、その魔物にやられちゃったんだろうっていうんだね。殺されちゃったんだろうってね。上がって来ないんで。

「これ、どうしても魔物がいる。とても、こういうふうな訳では、こういう水の中では退治することもできねえから、この湖を干すよりほかねえ」

と、そこで考えたのが、今のこの釜淵という、山の続いたところを掘って、そうして水を、湖を干した訳だね。ほうして、水を干したところがだいぶ水が引いたんで、それで、現在、八幡ていうところにある、丘になってんですかね、今、八幡様があんですがね、八幡様を祀っとくんですが、そこがちょこっと出てきたそうだ。ところが、その前に、水を干す前にここからね。

「ここにおかしな物がある」

って言うので、昔のことだから飛び道具でもって、(昔の飛び道具は弓矢の他ないでしょう)それで、

「あれがそうだろう」

って言うので、弓でもって仕止めようと思って、このとこから、弓を射った訳だね。そうしてここから、弓でもって射ようと思って、やったんだけども、湖があんまり広いので、

「とてもこれは届く当てがない」

と言うので、やめちゃったんだそうだが、そういうところから、ここんとこの高いとこの山を弓張堂という名称になったんだっていう話なんだね。で、今でも、ここを弓張堂という山の名前にしとくんだがね。そうして、今度は水が引けたんで、それから弓張堂から下りてきて、先言った八幡の、ここの丘へ来て、そうして、ここまで出てきてみたところが、

「向こうに見える」

って言うので、ここから弓でもって射ったという話なんですね。で、そのときに、この西河内のね、ここにね、今でもその地名になってんだが蛇頭ってとこがあんですよね。俗に言う。で、八幡様から、現在、蛇頭、どこの辺にいたか知んねえけども。とにかく、そういった魔物のような物がいたから、この八幡様がいた丘から射ったらば、ちょうど、うまく命中して、そうして苦しんでって。現在、俗に言う、蛇頭っていうとこへ行って倒れたっていうんだね。その魔物が、そうして、そのときに、蛇だな、蛇だったそうだ。その魔物はね。大蛇。ところが、そのときに弓でもって流れた血がうんと出たんで、まぁ水が赤くなったんでしょう。それが、だんだん、だんだん、こっち寄せらって、それから東北の方にある、ちょっと丘があんすがね、そこが蛇の血によって赤くなったから、赤岡と名付けたってんだね。そうして、ここを赤岡と名付けて何だね、犠牲になった侍を弔うために西河内へお寺を建てたんです。そのお寺を建てて供養して、そのお寺を今度は、犠牲になった人の名前をとって、山号を源八山とつけたんだ。それとともに、その大蛇を供養すんので、それを祀って。祀るためにだな、源八っていう人の供養をするとともに、その大蛇もともに祀ったんでしょう。そんで寺号を、大蛇を預かるお寺です、と寺号をつけて龍沢寺と。今でも現在、それが寺宝となっているそうです。大蛇の骨が。わしらは、昔話にそういう話を聞いてます。

○東河内字出戸 藤元克朗

※矢の距離など物語に無理がない話である。前半に「鱶が影を呑む」のモチーフを取り込んでいる。

 

田代からこっちへ下って来てね(田代字丸ヶ草)、来る前に右の方の高い所があるんですよ。弓張堂っていう。ええ、昔、八幡太郎義家が……。どういう訳か、この川下の辺りは湖だったらしいんだね。ほんじ、そこに蛇(じゃ)がいるもんだから、そんじ、その山から、

「蛇を退治する」

って言って、弓で射ったんだってね。その射ったところが弓張堂っていうんだ。そんじ、その矢で釜淵の堰が抜けた。そって、その矢が飛んでって向こうの八槻って。

──その蛇を射った矢が飛んで?──

うん。越して、今度、八槻さ飛んでった。ほんで八槻。棚倉の八槻(矢着、音が共通する)。ほって、その矢を祀ったのが矢祭だって。

○田代字丸ヶ草 鈴木正男

ざっと昔を聴く会『東白川郡のざっと昔』
(ふるさと企画)より