水の絶えない大清水池

福島県東白川郡棚倉町

聖武天皇の御代、磐城の飯野村(今の上台・玉野・福井)の信心深い百姓が、西国巡礼に出た。そして旅先で、白い長いひげの老人が夢に立ち、自分は宇賀明神であり、東国ゆかりの地まで連れていくよう告げた。そうすれば、その土地の氏神となり、福徳を与えるであろう、ともいい、背負い籠に入ってしまった。

お百姓さんはさっそく東国を目指し、飯野村の逆川まで帰ると、もう疲れて体も動かなかった。そこで宿を頼むと、はじめの家では汚らしい乞食と見られ断られ、福井でようやく迎えてもらえた。そして眠ると、夢にまた老人が現れ、この土地こそが自分にゆかりの地であるという。

飯沼という沼があるから、その畔に祀ってくれ、と老人は言った。親切に泊めてくれた人へのお礼に、日照りにも困らないようにするから、と。百姓が朝、負ってきた籠を開けると、五寸ほどの白蛇が出、金色に輝きながら野に姿を消した。

こうして日照りにも涸れない大清水池と知られるようになり、宇賀神社が祀られ、今もある。この水は百姓を泊めてくれなかった家のある集落に引こうとすると水が湧かなくなったといい、明神の力に皆驚いたそうな。それで、水の行かないその地には日照田という小字があるという。

棚倉町webサイト「棚倉町の昔話」より要約

宇賀神は蛇である、という感覚が北のほうにも続いていることを示すものとして引いた。大清水池は今もあり、宇賀明神は宇迦神社となって、磐城棚倉駅の北西のほうに遷っている。

日照田という小字は確かにあるが、大清水池のすぐ東隣だ。そちらには水は流さない、という何かがあった逸話なのだろう。水場の所有権と差配権の根拠を示す伝説として大変にわかりやすいものだといえる。