飯谷神社と野老沢

原文

むかし、康安のころ、野老沢(ところざわ)に船木光景という人がいた。光景は芦名盛詮に仕えていたのだが、勘気を受けて稲川荘野老沢によこされたそうである。

この光景は弓矢の射術に達していたものだから、その腕をもって飯谷山の兎を射取ろうとして、その中腹でたまたま一羽の兎に出会った。光景はこれ幸いとばかりにこの兎を追いかけるうちに、兎はついに飯谷山の山頂にまで逃げ登った。光景がこの兎を追いつめて山頂に達すると、その兎は白髪の老人となって現れ出た。そして光景にいうことは、「わたしはこの飯谷の山にきて二千余年にもなる龍蔵権現であるが、だれもわたしを祭ってくれるものがない。だから光景よ。わたしのために祠を建て祭ってくれ。そうすればわたしもこの地方の人々の守りとなるであろう」というと、その姿は消え去ってしまった。

光景はそこで飯谷山にこの神を祭り、自分は只見川の対岸に住居を構えたそうである。この光景が祀ったのが飯谷大明神で、仙人のあごのひげがちょうどトコロイモの白い長い根ににているところから、麓の村を所沢、野老沢というようになったといわれている。また、光景が永住した対岸の地には、飯谷大明神の拝殿として小祠を設けたところから、竜蔵庵の地名が生まれたという。

あかべこさくら会『会津やないづの昔話』より