今から四百六十年ほど前の天文十五年の頃、天文五年の白髪水以来、大川は一変し、勝常村もその被害は大きなものでした。薬師様の北西にあったといわれる西般若寺の裏、五十米ほど北は見渡す限りの大川が広がっていたそうです。
当時、京の都から、中央の薬師様の霊験あらたかなる御仏と聞き、公卿様が参詣に来られた際、供と二人で西般若寺裏手の大川を眺めながら、青々とした渕のそばをお通りになると足を止められ、
「これこれ伍助や、この渕も大分深いようじゃが、魚も沢山おることであろうのう」
「さようでございましょうな、なんでも村の人の話によるとここは亀が渕といって、大きな亀の主がいるそうでございます」
供の伍助は、内心、上様の釣道楽が始まったと思いました。
「伍助や、どこなりと行って釣竿都合して参れ、余が大きいのを釣り揚げて見せるぞ」
伍助は急いで近所の民家を廻り、ようやく釣竿を借りて来ました。洪水のため、渦を巻いて出来た青渕には、いつの頃にか大きな亀が住みつき、土地の人たちは誰いうとなく、亀ヶ渕ともいって恐れ、近寄る人もなかったそうです。
何も知らない公卿様主従は、渕の適当な場所を選んで腰を下し釣糸を垂れました。初め二、三匹ほど大きな雑魚を釣揚げた公卿様は大喜び、
「これは大したもんじゃ、やはり余の目は狂わん、この通りだ」
と、いいながら、四度目の糸を投げたが今度は、なかなか釣れそうもないまま、時間が経ちました。とその時、急に竿に大きな手ごたえがあり、公卿様は力を入れて引き上げようとしたが引き切れない。
「これは、よほどの大物だぞ」
と、ますます力を込めて引上げようとした時、水面に大きな波紋を立て浮いたのは、甲羅の長さ三尺もあろうと思われる、たいへん大きな亀でした。
公卿様の驚きは、いうまでもなく、亀の方でも驚いて、水中にもぐってしまいました。この時、公卿様は竿を強く握りしめていたので、青い渕に引きずり込まれ遂に浮き上がって来なかったそうです。
この騒ぎを聞きつけ、村人たちは大勢集まり、渕をのぞいておりましたが、青い渕は、何事も無かったかの様に静まり返っていました。
「やっぱりなァ、前から亀の主がいて、水の底には龍宮城があんだべェなァ」
このことがあってから公卿(くげ)ヶ渕と呼ぶようになったとか。
今は基盤整備のために跡形もなくなり、伝説のみが人びとにささやかれています。