巳待供養塔

原文

昔、佐野村の中央、越後街道から南、塚原方面にぬける道路がありました。そのT字路の角に建つ、石の道標のうら側に、巳待供養と刻まれた石碑がありました。

この碑の伝説は今から二百年ほど前の明和の頃、この年は雨の降らない旱魃続きで、春に雪が消えてから、六月になっても、一度の雨も降らなかったため、野菜もできず稲の植え付けもできなくて、お百姓さんたちは、大変に困っておりました。

こんなある日の朝早く、お百姓さんたち三人ほどで畑の作物の身廻りに、塚原道を宮の下まで出た時、道の真ん中に、こっちの方を向いて侍が立っていました。お百姓さんたちは怪しみながら、

「お侍さん、なんだシ、こんなに朝早くこんなとこに?」

と聞きましたら、

「いや俺はな、そこにある石碑なんだよ。刻まれてある文字が違っているので、竜になれなくて困っているんだ」

お百姓さんたちは不思議に思いました。

「お侍さんが石碑だとか、竜だとか、一体なんだべエ、おらだちにはさっぱり分かんねえなシ」

「分かんねえのはもっともだ。実はな、塚原道の石碑に刻まれてある文字が間違っているんだよ。巳待と刻まれてあれば、俺は早速、竜になって、雲を呼び、雨を降らせて、困っているお百姓さんたちのため、作物を実らせて喜んで貰えるんだが、それが『巳侍』と刻んであるため、いくら竜に変身しようとしても、侍になってしまうんだよ。

出来ることなら、お前さん方の力で『待』の字を刻み足してはくれまいか。書いた人が悪いのか、刻んだ人が悪いのかそんなことはどうでもよい、一日も早く刻んで下され。そうすればお百姓さんたちはこの旱魃から救われるのです」

と、いったかと思うといつのまにか侍の姿は、かき消すようにどこにも見えなかった。

「そうだったのか」

と、お百姓さんたちはやっとのみこんで、早速村に引き返し、人々を集め、日照のこと、竜のこと、文字の間違いのことなど話しましたところ、人々は喜んで、一も二もなく賛成しました。その日のうちに一字を刻みこみました。するとどうでしょう。夕方から真黒な雲が空一面に広がり、雷鳴を伴いものすごい大雨となり、苗も育ち田植も順調に出来て、お百姓さんたちは、大変喜んだというお話です。

鈴木清美『湯川村の民話と伝説』より