巳待供養塔

福島県河沼郡湯川村

昔、佐野村の中央のT字路に、石の道標があって、裏に巳待供養と刻まれていた。明和の頃、干ばつが続いて、雪が消えてから六月まで一度も雨が降らない有様で、百姓たちは困っていた。そんな中、朝早く三人の百姓が畑を見回っていて宮の下までくると、道の真ん中に侍が立っていた。

こんな朝早くに、侍が何の用であろうかと訝しむと、侍は答え、実は俺はそこの石碑なのだ、刻まれている字が間違っていて竜になれずに困っているのだ、と言った。百姓たちは何のことやら分からなかったが、侍は分らぬのももっともだ、とより詳しく説明を始めた。

いわく、自分は巳待供養の石碑なのだという。この干天に竜となって雨を降らせ、百姓たちを助けようとしたが、その巳待の文字が間違って、巳侍と刻まれてしまっており、何度竜に変身しようとしても侍になってしまうのだ、ということだった。

侍は、侍の字を待の字に直してくれれば、たちどころに雨を降らせよう、と言って消えた。百姓たちはさっそく村に引き返し、話を聞いた皆は一も二もなく賛成して、石碑の字を待に直した。すると、夕方から黒雲が広がり、大雨が降り、田植えもできるようになったという。

鈴木清美『湯川村の民話と伝説』より要約

湯川(ゆがわ)村の今の佐野目のお話。越後街道から南に塚原へ向かう道とあるが、塚原は阿賀川対岸の束原だろうか。現在のどのT字路なのか、石碑は現存するのか、などは不明。

字を刻み間違って蛇が侍になって出るなど、平安の世の話かという長閑さだが、地域的に存外に裏のある話であるかもしれない。なんとなれば、会津には実際「巳待」と見せかけて「己侍」と刻んだ石碑がいくつか存在するようなのだ。

なぜそのようなことが行われたのかは現状よくわからないが、帰農した武士にまつわるようなものであったとすれば、そういった人が農村を助けたというようなことが話の裏にはあるかもしれない。単なる笑い話とは見ないほうがよさそうだ。