天女の恩返し

原文

源平の時代下野国に、那須の八郎という強弓の郷士がいた。狩に出て三斗小屋から会津に入ったところ、密林内でうめき声が聞こえた。そこで近寄って見ると、むかでと大蛇が斗争し、大蛇が咽喉をかみ切られて苦しんでいる。

八郎は大蛇をかばい強弓を引いたが、むかでは固くて駄目である。そこで、伊吹山俵藤太の故事にならい、矢につばきを付けて放ったところ、むかでの咽喉を貫いた。このむかで退治で八郎は有名になった。

そうして二、三年経ってから、大雨連日の中を西国巡礼の娘子が、八郎が家の作業場に雨やどりしていた。家の二階から八郎がヒョッと見ると双方の視線がピッタリ合った。

可愛そうになって娘を屋内に入れて休ませた。雨はますます強く三、四日なかなか止まない。幾夜か泊まるうち、そこはそれ、生娘と荒武者は結ばれた。

娘の名はおりょう、みもちになり早や臨月出産の日も近い。産屋を決してのぞくなと戒められて八郎は承知した。三、四日経っても明けてよいとは言わぬので、難産かと心配のあまり八郎は戸を開けてしまった。すると大蛇の難産の場、八郎は顔色は蒼白し、息も絶えんばかりに驚いてしまった。

さて、おりょうは産屋を出て、約束を破って扉を開けたことをなじったが、素生がわかってしまったので、泣き泣き白状した。「私は鏡沼の大蛇で、先年むかでを退治して、助けて戴いた御恩返しのためかしずいて恋におちた。この子は真っとうな人間だから、もしむずかったり病いのときは、この宝玉をなめさせて下され、無事に育つから案じることはない。名残りは尽きないが、きりはない。さらば──」と、たちまち雲竜となって鏡沼に飛び去っていった。

子供が四、五歳になると、母に会いたいというので、鏡沼に尋ねて行った。「おりょうよ、子供が来たから顔を会わせてくれろ」と言うと、にわかに沼に波が立ち、おりょうが人身で現れた。そして「抱いてくれ」と頼むと、「これ一度だ、後はもう会えない。私の身分は天女なのだが、ある罪に問われて鏡沼に落とされていたところ、天上の罪ゆるされて今、天に昇ろうとするその日にやっと会えたので心残りはない」と、親子三人抱き合って涙にむせんだ。

それきりで永の別れとなり、おりょうは天女となって天津空に昇って行った。子供は無事成人して仕官もでき、天晴れな成功をとげたという。

『下郷町史 第五巻 民俗編』より